瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(61)

 昭和14年(1939)2月にまだ小学生でなかった種村氏の「小学生」時代の赤マントは、帝都を席捲したアレではありません。11月25日付(35)で見たように大宅壮一に拠ると「僅か一ケ月ばかり」とのことですから、種村氏等昭和7年度生れの学年が小学校に入学した昭和14年4月には、終熄していたはずです。夏には岩佐東一郎も、11月7日付(17)で見たように過去のこととして言及していました。
 ですから、種村氏やそれより下の学年の回想する「小学生」時代の赤マントは、その後蒸し返されたものということになります。
 その蒸し返された赤マントには「セムシ男」という属性が欠落していて、種村氏より上の、アレを体験しているはずの学年の人たちにも、この点は影響が及んでいて、アレの記憶を書換えてしまうような按配になっているのではないか、と、私は想像しているのです。
 一方、まだ小学校に上がる前の種村氏の学年は、当然アレを意識せず、もちろん記憶もしていなかったはずです。そのため、自分たちの小学生時代に蒸し返された赤マント騒ぎを、後年、アレだと思い込んでしまう人が出て来るのです。何せ赤マントが昭和14年の流言だということは、昭和末年頃までに刊行されていた年表類には出ていなかったので、自分の体験した赤マント騒ぎこそが全市を席捲したアレだったんだ、と思ったというのは、ごく自然な筋道でしょう。
 こうして、昭和14年2月の赤マント事件を知らない種村氏と同学年の人物から提示されたのが、昭和16年説です。

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 本人の記述を検討する前に、まずその影響を受けたと思しき小説を見て置きましょう。
中島京子『小さいおうち』文藝春秋
 本書に「赤マント」の記述があることを知ったのは、fujiponのブログ「琥珀色の戯言」の2010-07-24「小さいおうち」及びB-noteへの2013年3月21日のくろこげの投稿「伝えたい、と言うか」に拠ってです。
・単行本(二〇一〇年五月三〇日 第一刷発行・定価1581円・319頁)

小さいおうち

小さいおうち

・二〇一〇年六月二十五日 第二刷発行*1
・二〇一〇年七月二五日 第四刷発行
・二〇一〇年八月一〇日 第五刷発行*2
・二〇一〇年八月二〇日 第六刷発行*3
・二〇一〇年九月一〇日 第七刷発行
 第一刷は未見*4。私の見たのは平成22年(2010)7月15日の第143回直木賞発表後の増刷です。カバーは一致、奥付のそれぞれの発行日のみ異なるようです*5。文庫版も未見。
・文春文庫
小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

 賞を受賞するような小説を読む習慣がないので、この作品も読んだことがありませんでしたが、年代の確認のためにぱらぱら眺めて見て、やはり気になるのは年齢です。けれどもこれについて始めると長くなりますし、そのためには通読した方が良いでしょうから、年明けにでも別記事として挙げることにします。ここでは差当り、必要な箇所を抜き出すに止めて置きましょう。
 151〜191頁「第五章 開戦」の161頁11行め〜163頁14行め「4」節、161頁15行め〜162頁6行め、

‥‥考えてみれば、昭和十六年は、戦争が/始まるまでは、なんだかまるでいいことがなかった。【161】
 旦那様は珍しいくらい不機嫌だったし、そのせいで奥様もきりきりしがちだった。
 ぼっちゃんが学校で、赤マントの話を聞いて眠れなくなったのも、あのころだったのじゃなか/ったか。便所にひとりきりでいると声が聞こえて、「赤マントがいいか、青マントがいいか」と/訊かれるのだという。「赤マント」と答えれば、切り刻まれて血だらけになって死に、「青マン/ト」と答えると、血を吸い取られ真っ青になって、いずれにしても殺されるのだそうだ。
 嫌な話が流行ったもんだ。


 「ぼっちゃん」は昭和16年度に国民学校の4年生です。小児麻痺のために1年入学を遅らせて、昭和13年度に小学校に入学しています。従って、昭和14年2月には小学生だったのですが昭和14年辺りでは「赤マント」について何ともしておりません。作者の中島京子(1964生)は「楽天ブックス 著者インタビュー」の2010年8月5日「中島京子さん」に拠ると、関係する小説、新聞、雑誌などを随分読み漁って準備したようですが、昭和14年(1939)の赤マントには引っ掛かっていなかったようです。そして、昭和16年(1941)のことと確信していたらしいことは、183頁13行め〜187頁13行め「11」節に2箇所、184頁2〜4行めに、

 ただ、そのひと月ほどの間に、奥様は目に見えてお痩せになった。もともと白いのが青白くな/り、ぼっちゃんのお話に出てきた「青マント」に、ご不浄で血を吸われているんじゃないかと怪/しまれるほどだった。

とあり、187頁10〜11行め、

 青白い奥様と対照的に、お酒につきあわされた板倉さんは首まで赤くなっていて、わたしはま/た「赤マント 青マント」のお話を思い出した。

と繰返し持ち出しているところからも、確実でしょう。そして、187頁14行め〜191頁2行め「12」節は日米開戦です。
 さて、中島氏がこの時期に赤マントを位置せしめたのには、十分な理由があるのです。それが、種村氏と同学年の人物の回想なのですが、当時小学生だった個人の回想では、どうしても、十分に見通せていないところがある訳です。次回以降、その小説について、検討して見ることとします。(以下続稿)

*1:2018年10月21日追加。

*2:2015年7月22日追加。

*3:2014年6月27日追加。

*4:2014年5月23日追記】第一刷を見た。異同は、奥付に増刷の発行日の1行がないだけ。また、第四刷と比較するに、見返しが第一刷は淡い緑色の紙であるのが、第四刷では青みがかったものになっている。

*5:2014年6月27日追記】第六刷を見た。帯の表紙側が保存されていて、緑地に横組みで、ゴシック体白抜きで「第143回直木賞受賞」淡い黄色の明朝体で「|昭和モダンの記憶を綴るノートに隠されたひそやかな恋愛事件|」同じ色で、左上に1つ、右下に2つ、扉の右上にある花のカットがあしらわれている。最下部にゴシック体白抜きで1行「文藝春秋刊/定価(本体1581円+税)」。