瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(5)

 昨日の続きで小池壮彦『日本の幽霊事件』の「追ってくる屍体」について。
 小池氏は導入として稲川怪談を2つ紹介してから、この手の話の解説に入ります。143頁10行め〜144頁8行め、

‥‥。「追ってくる上半身」という話は、実に多くの人/の記憶の中に棲むらしい。一九九〇年代に様々なシチュエーションで語られた怪談である。
 私がこのパターンの話を最初に知ったのは、いつだったか、正確な記憶はない。何かで/読んだのか、誰かから教えられたのかも不明である。しかし、人に話すと誰もが「その話/は聞いたことがある」と応じる。九〇年代にはすでに一人前の都市伝説として確立してい/た。
 その当時のことだが、私は東京の西武新宿線にある野方という駅に近い踏切で、この伝/説のもとになったような出来事が起きたという話を本に書いたことがある。何十年も前に/*1【143頁】怪談そのままの事故が実際にあったという話である。たしか飛び込み自殺だったと思うが、/電車に轢かれて腰から下をなくした女がいた。助かる見込みはなかったが、まだ息があり、/上半身だけで動いていた。救急隊員が励ましながら病院に運んだという。*2
 都市伝説ではなく、事実そういう出来事があったというので、かつて『東京近郊怪奇ス/ポット』という本に書いた。戦時中の空襲時にも、似たことがあったという記録はあるよ/うだが、鉄道事故の話の方が怪談のイメージと重なるところが多い。そのこともあって、/私の脳裏に描かれる「追ってくる上半身」の話というのは、稲川怪談の中でいうと、むし/ろ「生首」で語られるシチュエーションに近いのである。


 小池氏は「鉄道事故の話」の方が「怪談のイメージと重なるところ」が「多い」、というのですが、鉄道事故でない方も怪談、というか、むしろ鉄道事故でない方が怪談なのではないでしょうか。
 鉄道事故の方は、小池氏がここに紹介している西武新宿線野方駅近くの踏切事故の例のように、怪談というより一時的な奇蹟みたいなものです。そのまま生き長らえて上半身だけでも人間は生きられる、という証明になった、という展開にはなっていないので、確たる証拠も残っていない訳で、そんなことが実際にあり得るものなのかどうか、たぶん「ない」としか言えないのですが、ひょっとしたら一時的にもせよ何らかの幸運により出血が抑えられ、即死を免れてしばらくにもせよ意識を保持し得た、ということがあったかも知れない、と思わせなくもない訳です。確証がなくても*3本当だと信じて語る人と、本当かなぁと思いつつ信者(?)の語りに気圧されて文句も言わずに聞く人がいれば、それでこういう話は伝播して行くのですから。
 とにかく、鉄道事故の方は、怪談というより奇蹟的(かつ一時的)生還の「事実」談、という体裁なのです。ですから、これを「怪談」というのは、少々違うように思うのです。それに「怪談のイメージ」とは、一体全体何を指しているのでしょう。それが、どう「鉄道事故の話」の方と「重な」ってくる、というのでしょうか?(以下続稿)

*1:ルビ「のがた」。

*2:ルビ「ひ」。

*3:5月6日追記】当初「証拠を示さなくても」としていたのを訂正。