・「お札の降る話」筑摩叢書版251頁上段1行め〜253頁上段12行め→学研M文庫版756頁4行め〜758頁6行め
まず柳田氏の「メソジストの牧師」になった「紀州の藩の酒井という人」の「伊勢の松阪」での体験談、芥川氏の「母の話」が語られた後、757頁7〜8行め、
菊地 それは維新の時は人心が動揺して居たからなんでしょう。
芥川 「今昔」の中に傀儡子の話もありますね。*1
ここで話が飛んでいる。ところで「菊地」というのは、もちろん菊池寛のことなのだけれども、学研M文庫版では全て「菊地」になっている。それから「怪談実話の部」677〜753頁「怪談会」でも、677頁(頁付なし)扉には、1行め(3字下げ)でやや大きく「怪談会」、2行弱空けて2〜14行めに参加者13名が列挙されるが、12人めが「芥川龍之介」で最後の13人めが「菊池寛」である。ところが本文、678頁3行め、2番めの発言が「菊地 どういう話です。」で、これも最後まで「菊地」のままである。
それはともかく、筑摩叢書版では「菊池」発言は13〜14行めで、やはり続きが省略されている。少し抜いて見よう。
菊池 それは、維新の時は人心が動揺していたからなん/でしょう。
尾佐竹 慶応三年――あの時の話は名古屋で聞きました/が、‥‥
次いで柳田氏が「武州の金沢」すなわち現在の神奈川県横浜市金沢区の例を紹介し、252頁上段9〜11行め「‥‥、今年あたりはちょうど六/十年目だからもう降らなければならぬ年なんだ。たいてい/六十年目に一ぺんずつ降っている。‥‥」と周期説を唱えている。確かに慶應三年(1867)から60年で昭和2年(1927)となる。それから過去の方は「文正年間の伊勢踊」にまで遡って、そこで252頁下段8行め、
芥川 「今昔」の中に、傀儡子の話もありますね。*2
に繋がるのだが、学研M文庫版ではこの辺りがすっかり消えている。(以下続稿)