赤マントの検証は、7月11日付(139)に書いたような心積もりでやっているのだけれども、その後、当ブログの記事は「赤マント」もしくは「赤いマント」で検索しても一向にヒットしなくなってしまいました。他人の説を悪く書き過ぎたからかも知れません。けれども、間違いなんだから仕方がないでしょう。すなわち、私としては「間違いをはっきりさせて本当のところがどの辺にあるのか、くらいのことを示して置」いて「状況の改善に繋げたい考え」なのですが、いよいよ「謬説がどうかするような雰囲気に」はならないのです。こうなった以上は「赤マントを取り上げているブログのコメント欄に押し掛けて行った」方が良いか、とも思うのですが、そういったブログの大半は私がいけないと思っている説を無批判に引き継いで書いている訳で、そんなところに乗り込んでは、やはり良い気持ちはしなかろうと思うのです。――結局、何らかの権威がないことには人を靡かすことは出来ぬのか、と少々虚しくなって来ました。
そんな折、昨日2013年11月25日付(35)に追記して置きましたが、scopedogのブログ「誰かの妄想・はてな版」2014-10-26「赤マントは復活するか」に「20世紀の歴史」という雑誌の「Vol.89 日中戦争2」(1975年11月5日発行)に掲載された「「赤マント」の怪」という記事が引用されていることに気付きました。昭和50年(1975)に「中央公論」昭和14年(1939)4月号に拠り大宅壮一「「赤マント」社会学」だけではなく「東京だより」も活用した記事が公表されていたのでした。
大宅氏の文章のうち、赤マントの流言に関わる部分は2013年11月20日付(30)から2013年11月25日付(35)に抜いて置きました。「「赤マント」社会学」を恐らく初めて書籍に収録した小沢信男編『犯罪百話』については2013年11月16日付(26)の後半及び2013年11月17日付(27)に紹介しました。それから「東京だより」は2013年11月18日付(28)の後半及び2013年11月19日付(29)に当該箇所を全て抜いて置きました。――思えば、1年前の今頃は、赤マントの調査で従来見落とされている資料をかなり発掘出来、そして世間に行われている好い加減な説明を訂正し得る、という見通しも立って、意気込んで(?)やっていた頃なのでした。
他にも、記述が存することを確認しながら本文を写すこともなくそのままにしてしまっている本がまだ幾らもあるのですが、その後何となく中断してしまっていたのでしたが、先月来また新聞記事を集めて事態の経過を辿るような作業を続け、またscopedog氏の紹介した記事を読んだことで、また続けて見ようという気になったのです。
祝日にちなんだ決意などしないのですけれども、私なりの文化の日の宣言。すぐに何か投稿出来る程のストックもありませんが。(以下続稿)