瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎『消ゆる女』(1)

 この本も、たぶん手にする機会はなかろうと思っています、やはり山下武『探偵小説の饗宴』所収「『小笛事件』の謎」にしばしば言及されることで知りました*1
 まず9月26日付「山本禾太郎『抱茗荷の説』(1)」に引いた「」章(179頁3行め〜189頁10行め)、180頁17〜18行めに「長篇小説『消ゆる/女』(昭22・梅田出版社)」と挙がっていました。
 それから「」章(231頁5行め〜239頁13行め)、233頁6〜8行めに、

‥‥。戦後の昭和二十二年、ようやく復活し/た山本禾太郎が「神港新聞」紙上に連載した「消ゆる女」は、これまた美貌の女浪曲師・京山秋野/の出生の秘密を追った力作ながら後が続かず、これが戦後のかれの唯一の作品となった。‥‥

とあります。「これまた」と云うのは232頁14〜18行め、

‥‥。若いころ旅回りの一座に加わ/り浪曲の台本を書きとばしたかれの通俗作家としての下地は大向うを唸らせるに充分で、そういえ/ば、「週刊朝日」の懸賞小説に応募して第一席となった「東太郎日記」も浪曲界の内幕に材をとっ/た芸道物だった。このときは作中のモデルである女浪曲師・京山小圓から名誉毀損の廉*2で訴えられ、/法律通のはずの禾太郎も大いに狼狽したものである。‥‥

を受けています。「東太郎日記」は『山本禾太郎探偵小説選』に収録されていません。なお、初代京山小圓(1877.3.15〜1928.10.30)は男性なので「女浪曲師」というのはその弟子の初代京山小圓孃(1903〜1973.9.16)でしょう。すなわち「孃」を未婚女性に対する敬称と思って削ってしまったのでしょう。
 さらに山本氏の、山本禾太郎という作家の評価にも『消ゆる女』が使用されています。すなわち235頁7〜8行め「あきらかに夢野久作の系統に属する変格物の探偵作家なので/ある。」と位置付け、10〜11行め「本格物の探偵小説を空疎な知的/遊戯と見做すこの作家の生真面目な性格」が、235頁12行め〜236頁1行め「「探偵小説はウソばか/り書いている、少くとも小説として、あまり/ウソが目立ちすぎる」(『消ゆる女』あとがき)/とする反省の上に立って、かれに“事実”尊/重の記録体風の小説を書かしたのである。そ/の結果、「これに徹すると小説でなくなる、/即ち非小説であり、実話である」(同上)とい/うことがだんだんかれ自身にもわかってきた」とします。そして、239頁8〜12行め「抜きがたい固定観念とまでなった持論/の変格探偵小説論を禾太郎が戦後にただ一度作品のかたちで発表したのが『消ゆる女』だった。往/年の客気が薄れたとはいえ、この作品には各地を放浪した青年時代の体験とロマン復活の夢が綯交/ぜとなり、写実と夢幻的話法の合体を図った苦心の跡がみてとれる。そこには試行錯誤の末、犯罪/事実小説からスリラー風の変格物へと、探偵小説界の路地裏を歩んだ一人の作家の到達点があった。」と云うのです。13行め、結語もついでに抜いて置きましょう。

 ――山本禾太郎は、けっして「窓」や『小笛事件』だけの作家ではなかったのである。


 本作について、論創ミステリ叢書14『山本禾太郎探偵小説選Ⅰ』の横井司「解題」には、376頁1〜5行め、

‥‥。同じ四七年には『神港/夕刊』の九月九日(?)号から一一月一七日号まで、全六十四回にわたって「消える女」を連載し、/戦前の犯罪事実小説とは違う新しい方向性を模索したものの、結局はそれを最後に創作が途絶え/てしまう。五〇年には「心の狐」と題した長編を『妖気』一〜四月号に連載したが、これは「消/える女」の改題版である。‥‥

とあります。それから、権田萬治「漆黒の闇の目撃者――山本禾太郎論」を引いてその解説をする形で、377頁4〜8行め、

‥‥。「山本禾太郎/自身が述べているように」というのは、長編『消える女』(梅田出版社、四八)の「あとがき」/において、「記録体の小説を書きつづけてきた」のは、探偵小説が「小説として、あまりにウソ/が目立ちすぎる」「凡そ小説からウソが感じられては小説としての価値はない、と考へたので小/説に実態を与へるために記録体の小説を書いたのである」と書いていることを指している。‥‥

との引用もあるのですが、題が文語「消ゆる女」ではなく口語「消える女」になっており、版元は同じですが刊年が昭和23年(1948)と1年違っているのです。(以下続稿)

*1:この記事は9月26日付「山本禾太郎『抱茗荷の説』(1)」と同じく9月25日から準備していましたが「抱茗荷の説」が一段落付いたので(続稿の予定はありますが)若干加筆修正の上投稿します。

*2:ルビ「かど」。