瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「東太郎の日記」(1)

 本稿は当初「山本禾太郎「東太郎日記」(1)」という題で9月27日から29日に準備しました。山下武『探偵小説の饗宴』の記述を手掛かりに、どこに行けば探索・閲覧・複写が出来るか、大体の見当が付きましたので、その後、今週、仕事の帰りにその施設に2度、閉館まで1時間を切っていましたが飛び込んで、あっさり見付け出すことが出来ました。そして、山下武『探偵小説の饗宴』に見える「東太郎日記」は誤りであることが分かりましたので改題しました。なお筆名は「山本禾太郎」ではないのですが、混乱を避けるためと「山本禾太郎」名義の随筆で題名は挙げていませんが自作として言及していることから「山本禾太郎」として置きました*1。他に手を入れたところは、仮に「10月×日付「山本禾太郎『消ゆる女』(1)」」として置いた日付を入れたくらいです。「『読売新聞』の長編懸賞」の方もこの施設の閉館後、近所にある図書館に梯子して、いつ、どのような段取りで実施され、結果はどうだったのか、の調べを合計1時間弱のデータベース検索にて明らかにし得たので、続いて記事にして報告する予定です(10月3日記)。

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 10月5日付「山本禾太郎『消ゆる女』(1)」に言及した「東太郎日記」は『山本禾太郎探偵小説選』に収録されていないのですが、この作品について『山本禾太郎探偵小説選Ⅰ』の横井司「解題」には、374頁7〜13行め、

 興味深いのは、その二七年、『サンデー毎日』主催の大衆文芸の懸賞に創作「馬酔木*2と薔薇」/を投じて入選していることである。これ以外にも、それぞれ初出は不詳ながら、『週刊朝日』の〈事/実小説〉懸賞に「東太郎日記」を投じて入選したり、『読売新聞』の長編懸賞に探偵小説を投じ/て落選したりしている(「あの頃」『探偵春秋』三七年七月号)。前者は「探偵小説とは似て非なる、/人気女浪曲師をモデルとした一種の芸界内幕物」(山下武「『小笛事件』の謎――山本禾太郎論」/『探偵小説の饗宴』青弓社、九〇年一一月)とのことだが、「馬酔木と薔薇」も、探偵小説とは微/妙に異なる世界を描きあげている。‥‥

とあって、横井氏は山下氏の紹介を引用するばかりですので、これも見ていないようです。
 「あの頃」は『山本禾太郎探偵小説選Ⅱ』311〜388頁「評論・随筆篇」の355〜360頁に収録されています。奇怪なのは横井司「解題」401頁19行めに「 「あの頃」は、『シュピオ』一九三七年六月号(三巻五号)に発表された。‥‥」とあることで、『山本禾太郎探偵小説選Ⅰ』に掲載誌を『探偵春秋』としていたのは誤りでしょうか。――「読売の長編懸賞」の一件は357頁12〜18行めに「よほど以前のことであるが」として回想されています。そして「週刊朝日」の一件は、359頁1行めから最後(360頁8行め)まで、かなり詳しく述べてあります。

『窓』は阪神電車沿線の美人殺し、『小坂町事件』は兵庫県のある町に起こった事件、『長/襦袢』は京都府の某地にあった事件というようにたいてい実在した事件を小説化したもの/であった。だから西田政治氏から実話脚色者だと言われた次第であるが、こういう風に私/のものにはたいてい実在の事件があった。あまりに実在の事件をとりすぎた結果一度大変/な目に会ったことがある。ことは探偵小説ではないが、まんざら縁のない話でもない。
 ある大衆雑誌の懸賞に応じて「事実小説」というものに応募したことがある。幸いに当/選したところが、発表の一ヶ月ばかりの後ある弁護士から内容証明郵便が届いた。開いて/見ると、あの小説のモデルとなっている人から依頼を受けたのであるが、君はあの小説で/本人の名誉を毀損したから至急に適当な方法で四度の手段を構ずる義務がある、もし君が/この催告の期間にその手段を構じ義務を果たさなければ訴訟にする、というのである。私/はフルエ上がった。しかし考えてみるとその小説では決して本人の名誉を毀損してはいな/い、むしろ本人には同情の気持ちで書いたもので読者はかえってその本人に同意するに違/いないのである。私はその対策についていろいろと考えた。堂々と応訴しても決して負け/ないだけの自信はあった。けれども専門家の弁護士を相手に応訴するには物質的の損害は/忍ぶとしても精神的にはとても最後まで耐え得ないだろう。これはその弁護士に会うて示/談解決するに限ると考えたので弁護士に会見を申し込んだ。そして私はその小説が徹頭徹/尾架空の小説で、決してモデルを使ったものでない。したがって弁護士のいう本人とは無/関係であると言う建前で臨んだ、するとその弁護士は、それではあの作者の言葉はどうだ、/あれはこの小説が事実であることを示しているではないかと攻めてきたので、私は作者の/言葉も創作であると防いだ。結局弁護士は二百円を要求したが私はこれを拒絶した。そし/て二、三回会見した結果、ほんの煙草代に等しい少額の金でケリがついたのである。
 ところが数日の後、東京にいる私の友人から読売新聞を送って来た、開いて見るとその/名誉を毀損せられたという本人の写真が出ている。そして本文に私を訴えたという記事が/ある、その本人というのはある種の芸人でその記事が東京に出演する一つの宣伝になって/いた。この話のつづきはまだあるのだが探偵小説に関係のないものであるからこのヘンで/やめておこう。


 一読してこれは、10月5日付「山本禾太郎『消ゆる女』(1)」に引いた、山下氏が言及している事件であることが分かります。注意されるのは山下氏が「モデルとなっている人」の実名を書いていること、それから横井氏も注意しているように内容を知っていることです。もちろん「モデルとなっている人」も山本氏の小説を読んだから「名誉」の「毀損」を言い立てたので、しかも「作者の言葉」付きで雑誌に掲載されたはずなのです。
 そうすると『山本禾太郎探偵小説選Ⅰ』381頁4〜7行め「‥‥、今回入手できなかった随筆「奇術と探偵小説」(『関西探偵作家クラブ会報』四八年一〇月号)と、『小笛事件』『消/える女』の二長編、また「市川小太夫氏を中心とする探偵劇座談会」(『ぷろふいる』三六年四月/号)などを除き、ほぼ禾太郎の全業績を集成したことになる。」と謳っているのはどうなのか、という気持ちにさせられたのですが、山本氏本人が「探偵小説に関係のない」と断っているのだし、横井氏も「などを除き、ほぼ」と書いているので、漏れていても目くじらを立てるようなことではないのでしょう。(以下続稿)

*1:2012年1月18日付「平井呈一『真夜中の檻』(01)」或いは2012年4月5日付「平井呈一『真夜中の檻』(17)」等にて言及した『真夜中の檻』も、元来「平井呈一」名義ではなかったものを(平井呈一が本名でもない)平井呈一のものとして扱いました。それと同じ処理ということになります。

*2:ルビ「あせび」。