・讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(9)
昭和3年(1928)10月20日の社告では12月10日と予告されていましたが11日に入選作の発表がありました。
昭和三年十二月十一日(土曜日)付「讀賣新聞」第一萬八千六百二號(市内版)*1の(二)面、12段組の左側2〜10段めに発表記事があります。うち2〜5段めの4段抜きになっています。まず大きく見出しが、
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〈懸賞 / 公募〉大衆文藝の當選者發表
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歌壇から進出の尾山氏
一等當選の榮を得
[氏が初陣に問ふ力作『影繪双紙』]
二等は探偵味豐な『河豚クラブ』
とあります。1行めの左右に縦線、明朝体ですが3行めが大きく太く、4〜5行めは1〜2行めに比して若干小さくなっています。4行めは線で囲われ、『 』は5行めもそうですが半角です。続いて
本社創立五十五周年記念八千圓懸賞文藝公募のうち大衆文藝の豫選通過作品八篇はかねて選者三上於菟吉、甲賀三郎、/白井喬二、吉川英治、並に本社寺尾幸夫諸氏の手によつて公正嚴密に審査中のところ、別掲文藝欄における/採點成績及び批評によつて明かなる如く 左記二篇の當選を見た。我が社は記念事業の 意義まづ大/衆文藝において擧がれるを欣幸とするものである
とあって、まず「 一等(賞金一千圓) 『影繪双紙』 尾 山 篤 二 郎」太く示したところは見出しの4〜5行めと同じ大きさで、氏名の右に小さく「東京市本郷區菊坂町三四賓館内」と添えてあります(「市」が「尾」と同じ高さで「内」は「二」の真横)。次に「 二等(賞金五百圓) 『河豚クラブ』 關 田 一 喜」太く示したところは一等の賞金・氏名と同じ大きさで、氏名の右に小さく「高知縣高知市水通町二七」と添えてあります(「縣」が「關」と同じ高さで「二七」は右の「三四/篤」と同じ高さ)。そして、
右により『影繪双紙』は目下連載中の中内蝶二氏の『剣豪近藤勇』の後をうけて明年連載の豫定であり、『河/豚クラブ』も機會を得て發表の筈である
とあります。6〜7段めにはまず下に「氏郎二篤山尾」とのキャプション(下線あり)のある写真が掲載され、続いて2段抜きの見出し、
維新史研究から
得た材料で
荒唐無稽でなく史實に即して
喜びの尾山氏語る
があります。2行めが最も大きく4段抜きの見出しの1〜2行めと同じ大きさで1行めは若干小さいのですが入力の便宜上仮に同じ大きさで示しています。尾山氏の談話は7段めからで6段めは導入、尾山氏の写真の下、8段めには右に「關田一喜氏」とのキャプションのある顔写真が掲載されています。8段めも尾山氏の談話の続きがあり、その左、7〜8段め2段抜きで
滋味の殘る物を……
關田氏書を寄せて言ふ
とあって、以下7〜9段めの11行が紹介記事、9〜10段めの8行が關田氏の手紙の一節です。
大衆文藝の当選発表はここまでなのですが、9〜10段めの残りは波線で仕切って、2段抜きの長篇小説に関する記事があります。これは大衆文藝の選考過程の参考になりますの全文を抜いて置きましょう。(以下続稿)
*1:上欄外に右からの横組みですがそのまま再現しませんでした。全12頁。