瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(12)

 昨日は一昨日の続稿を上げるつもりで準備していたのだが、途中で全て消えてしまった。材料は揃えてあっても入力と校正を何日分か済ませて置くような余裕はないので、日課だから何とか続けているのである。――そんなに余裕がないのなら連続テレビ小説の批判などしなければ良かったのだが、そこは昨日も取り上げた、映画の中の古典の授業に注目している理由である、何時からこんなに昔のことが分からなくなってしまったのか、という問題に直結しているから、何としても外せなかったのである。
 とにかく打ち直している余裕はないので急遽、ストックしていたものを上げて済ませて置いた次第である。

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讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(12)
 11月27日付(11)の続きで「本社五十五周年記念懸賞/ 大衆文藝當選々評」について、選評の配置を確認して置きましょう。
 選者の5氏を年齢順に並べると寺尾幸夫(1889.8.30〜1933.1.1)白井喬二(1889.9.1〜1980.11.9)三上於菟吉(1891.2.4〜1944.2.7)吉川英治(1892.8.11〜1962.9.7)甲賀三郎(1893.10.5〜1945.2.14)となります。寺尾氏と白井氏が数えで四十歳、満年齢にすると全員30代後半なのです。このうち寺尾幸夫は讀賣新聞社社会部長玉蟲孝五郎の筆名、在社中から小説を発表していましたが昭和6年(1931)に作家活動に専念するために退社します。全員、山本禾太郎(1889.2.28〜1951.3.16)よりも若いのですが、3人が山本氏よりも先に死去しています。
 さて、(四)面は右上に3段抜きで「文 藝」その左にやはり3段抜きで見出し「本社五十五周年記念懸賞/ 大衆文藝當選々評」左右に縦線、ついで1〜2段めの2段抜きで「八 篇 短 評/白 井 喬 二」とあって、1段めの全部、2段めは中央やや左に5段めまで抜いてある縦線まで、この縦線の右、3〜5段めに前回紹介した「選者五氏採點表」があります。白井氏の選評は3段めのこの表の右までです。中央やや左に2〜5段めまでを抜いてある縦線の左には、2〜3段めの2段抜きで「選 了 批 評/吉 川 英 治」とあって、最後の9行は6段めの左に及んでいます。この吉川氏の選評のうち4〜5段めの中央に、左右を2段抜きの縦線で仕切って三上氏の選評があります。2段抜きで「 寸 評 三上於菟吉」とあって、以下4〜5段めに本当に寸評がなされています。表の右、4段めからは甲賀氏の選評があって、4〜5段めの2段抜きで「選  評 甲 賀 三 郎」とあり、6段めに及んでいます*1。そして、6段めの甲賀氏の選評の最後と吉川氏の選評の最後に挟まれて「讀 後 感本社 寺尾幸夫」があります。そして6段めの左端には「第 面發表/記事參照 」とあるのですが11月25日付(09)で見たように「二」とあるべきところが空白になっています。
 本稿の目的からすれば米島清=山本禾太郎に関する評価だけを抜けば良いのですけれども、前回示した採点表にある通り「第四の椅子」は8作品中7位なので、残念ながら大して論評されていないのです。それでは選者たちがどのような前提で評価を下して行ったのかが分かりませんので、総評や他の作品に対する評についても細かく見て置くこととしたいのです。(以下続稿)

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 昨日の投稿前消滅に続いて今日は準備中にフライング投稿してしまった。選評の紹介は作品ごとに小出しにして時間稼ぎをします。そうでもしないと身体が保ちません。

*1:最も詳しい甲賀三郎の著述目録を掲載している(と思われる)inatの甲賀三郎ファンサイト「甲賀三郎の世界」の「甲賀三郎・非小説作品リスト(評論・随筆リスト)」にも著録されていません。