瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

筒井康隆『時をかける少女』(4)

大林宣彦監督映画(3)近世の俳句
 11月14日付(3)に、1回めの「四月十六日(土)」の学校での場面(00:06:53〜00:20:54)の場面の内訳を示したが、私が注目したいのは4時間めの福島先生の総合国語(古文)の授業(08:41〜09:26)である。
 この教室は7列で1列に5人、合計35人収容出来る勘定になっている。座席表を▲=男子、●=女子で整理して見た。制服は男女とも灰色で、当時は同じような髪型の男女が少なくないので、映ったとしても後ろからでは性別が分からない。それでも時間移動の場面によりそれまで殆ど映っていなかった廊下側後方の生徒たちも大体判明したが、廊下側1列め5番めの生徒は分からなかった。いなかった可能性もあるが、いたのだけれどもはっきり映らなかったように思われる*1
       [教卓]

|廊
|下

 このうち目立っている生徒は赤で示した以下の6人。
・窓から2列め1番前=福島先生の授業が終わった直後に「やったぁ」と叫ぶ男子*2
・窓から3列め1番前=神谷真理子(津田ゆかり)
・窓から2列め2番め=芳山和子(原田知世
・窓から3列め2番め=堀川吾朗(尾美としのり
・窓 際1列め3番め=深町一夫(高柳良一
・窓から2列め3番め=生徒A(小河麻衣子*3
 さて、福島先生の授業は、最後の1分足らずが描写されるだけだから、板書の殆どは既に説明が済んでしまった内容である。
 授業後に福島先生は自分で板書を消し始めるのだが、その場面(09:51〜10:16)も合わせて黒板に書いてある内容を確認して置こう。

   四月十六日(土)




近世の俳句
     与謝蕪村

           季語(夏)
○愁ひつつ岡にのぼれば花いばら

 憂いを胸に抱いて、
 近くの岡に登ると白いばら
 の花が咲いていた。
 その花の姿が私のもの悲しい
 気持をいっそうしみじみと
 したものにしてくれる。

 季語(春)
○菜の花や月はひがしに
     日はにしに.


 黒板の右端の日付と曜日(括弧は左右にある)は「四月十八日(月)」の場面にあったように学級委員らしい神谷真理子が書いたものであろうか。それから俳句のうち「花いばら」と「菜の花」に赤の傍線が引かれて、その右に赤で季語と季節が添えてある。また「抱」の字の旁は「包」ではなく「匂」のようである。
 福島先生の名調子(?)も文字に起して置こう。
「菜の花や、月は東に日は西に。つまりだ。辺り一面黄色い菜の花畑の両側に、真っ赤な夕日と、月が、そして多分空の色は、青紫になってる。非常に絵画的な情景を、十七文字*4の中に、歌いついでいるという訳だ。おい、そこ五月蠅いぞ(空腹のために集中できずに「あぁあぁ腹減った(舌打ち)土曜日でも弁当持ってくれば良かった、なぁ深町」とぼやく堀川吾朗を注意)。それから別の鑑賞の仕方もある。つまりこの俳句は、地球と月と太陽を、いっぺんに詠み込んだということで、日本人の宇宙観を表しているという解釈もある」
 そこまで来てチャイムが鳴るや、延長せずにそのまま、前回文字起しした担任としての挨拶(09:26〜35)に移る。堀川吾朗は国語が嫌いらしく、月曜日の授業では寝ている。このとき寝ていないのは昼前で空腹だったためである*5。しかし芳山和子は堀川吾朗が愚痴をこぼす前(08:57〜09:00)本当に嬉しそうに福島先生を見ていた。
 高校国語教師なんて、こんな感じで楽しそうに文学を語っていれば良かったんじゃないの。もちろん高校のレベルにもよるけれども。――国語の授業で点を取るための技術を教えるなんてこともなく、漢字もそれなりに書けて、特に国語が得意でもない生徒にも話が通じて、何よりも役に立つとか受験で使うとか関係なしに出来ないといけない、という意識があった。しかしそれもそんなに点が取れる訳ではなかったがまぁ国語が好きであった私にそう見えていただけなのかも知れない*6。(以下続稿)

*1:2024年4月16日追記】当初、この座席表は席と席の間を1字分空けるだけにして、はてなダイアリー時代は綺麗に並んでいたのだけれども、はてなブログでは「●」が小さくなって縦が揃わなくなってしまったので、表形式に改めた。

*2:生徒C(内藤研)であろうか。父親の内藤誠は芳山和子の父親芳山哲夫役として友情出演。

*3:眼鏡の女子でかなり目立っている。他に「生徒B(石井きよみ)」がクレジットされているが、よく分からなかった。【2024年4月16日追記】生徒Aは現・小河万以子(1965.8.26生)。

*4:「じゅうななもじ」と発音。――私はいつから「しち」と読まなくなり「なな」が優勢になったのかが、気になっている。

*5:後ろにぼんやり映る坊主頭の男子も欠伸をしていた。

*6:大学は国文科に進んだのだけれども、それは浪人時代に志望変更したからで、現役時には国文科を受験していなかった。国語の授業が苦痛でならなかった時期もあった。この辺りの事情は別に記す。