瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(15)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(15)
 それでは作品毎に選評を紹介して行きたいのですが、点数順に評価の高いものから挙げるか、低いものから挙げるか、或いはジャンル別に――時代小説が6作品と、探偵小説が2作品ということになるようです――紹介するか、迷いましたが、2つを組み合わせてまず時代小説を評価の高いものから、そして最後に山本氏の「第四の椅子」が含まれる探偵小説を取り上げることとします。
 当選作は一等・二等とも「讀賣新聞」に連載されましたので詳しい内容が分かるのですが、百数十回分を検索して読み通す余裕は流石にありませんでした。かつ、落選した6作品については、この選評に紹介されている以外に、内容を知る手懸りがありません。そこで、内容について触れている白井氏・吉川氏の選評から、甲賀氏・寺尾氏、そして最も簡略な三上氏の順に見て行くこととします。
 なお、白井氏と甲賀氏は作品名と作者を一回り大きく示し、吉川氏・三上氏・寺尾氏は作品名に(寺尾氏は作者名にも)黒丸の傍点を打っています。これらはそのまま再現せず、仮に太字にして示しました。使用されている活字はこの記事の見出しも含め全て明朝体です。改行位置は「|」で示しました。
 複写が小さいため読み得なかった箇所がありますが、これらは後日校正の機会を作ってマイクロフィルムと照合し、振仮名を補うとともに追加訂正するつもりです。
・尾山篤二郎『影繪双紙』 一等當選
 白井喬二の選評(75点・3位)

 ―尾山篤二郎氏の「影繪双紙」は、作者が著名|な人だけに、流石に筆致の運行は|シツカリした物である。幕末の風|雲時を背景として、文化轉換期の|新舊思想の錯綜を描き出さうとし|た物であらうが、主人公遊佐敬助|の變 極まりなき行動を中心とし|て、可成り塲面の變化に富んでゐ|る。最初 主人公の兄村越が刺客|に襲はれる處と、地震の塲面は頗|るうまいと思つた。然し、總じて|描寫が一種の事情通になりたがつ|て、材料の〓〓が行き屆いてゐな|い。それゆゑ、混入つてゐる割合|に、一貫した中心點が潰滅してゐ|る樣である。


 吉川英治の選評(90.4点・1位)

 取材の確さと考證や一家の風を|も取つて群を拔いてゐるのは「繪双紙」であつた。この作家は老|成に近い筆致と作品の圏内に充分|該博な素養をもつてのぞんでゐる|ので、かなり硬い〓〓であるが何|處か安心して讀める。鬼面人を脅|かすやうな惡戯が少しもなくて内|容にも相當に興味的な色彩をもつ|てゐるが、やゝ新聞小説の約束的|な副意義を無視した點がないでも|ない。殊にさういふ意味で安政の|大震災に於ける引證などは隨筆的|な興味としてもつまらない餘計な|ものであり過る。然し、時代の空|氣と人物の内面的なところまで筆|觸して少しもあぶなげがなく、や|や讀者を選ぶ遺憾はあらうが、別|趣な興味もある作品といへば、八|篇中この「影繪双紙」を私は白眉だ|と思ふ。


 甲賀三郎の選評(80点・1位)

 「影繪双紙」
     尾山篤二郎君
 八篇中最も手堅いものとして第|一位に推す。幕末より維新に至る|までの事績中、著名な人物による|著名な事實を、殆ど逐次的にサラ|/\と書流したもので、難を云へ|ば躍動性に乏しい。但し其間双生|兒の點綴するあたり、讀者の興味|を相當繋ぎ得ると思ふ。
 尚、採點は八篇の相對的価價を|定めるものでしかあり得ない。だ|から、第一位のものに滿點を付す|事も出來るし、又さうなければな|らぬかも知れぬが、敢へて滿點を|付けなかつたのは、偶々選者とし|て之以上の作品を期待してゐた意|志表示である。


寺尾幸夫の選評(85点・1位)

一、「影繪双紙尾山篤二郎作。は|八篇中群を拔いてゐるものであ|る。これまでの大衆文藝の缺陥で|あり同時に時期の大衆文藝の方向|はこゝに行かなくてはならぬと感|ぜられるもの、即ち作中の人間性|が適確に掴まれその背後に全篇を|通じての時代相が描かれてゐるこ|とを心よく感じた。只幾分史實が|勝つて人物の遊動が不自由なとこ|ろがありはしないかを懸念するが|大衆文藝として確に新天地を開拓|してゐる點は意義あるものであ|る。第一位に置いた。


 三上於菟吉の選評(80点・1位)

影繪双紙」 八篇中の壓卷―
  ………………………………
豫選の八篇、讀んで見てかなり失|望した。しかし「影繪双紙」を得て|愉快だつた。「影繪双紙」は現在の|大衆作品の大ていなものと比べて|ヒケを取らぬだらう。少し細かさ|や神經には缺けてゐるが、一通り|の腕ではない。


 「影繪双紙」は昭和4年(1929)1月12日付「讀賣新聞」に(1)が掲載されました。題に続いて「(大衆文藝一等當選)/作 尾山篤二郎/畫 馬場射地」とあります。そして昭和4年(1929)5月31日付「讀賣新聞」の(139)まで連載されて完結しました。なお、は昭和4年(1929)8月31日付「讀賣新聞」朝刊(一)面に掲載の広告「平凡社大衆小説單行本 新刊」の3点中2点めに出ています。この本は国立国会図書館デジタルコレクションに入っていますがインターネット公開になっておらず、欠頁もあるようです。
 尾山篤二郎(1889.12.15〜1963.6.23)は歌人・国文学者で、小説はこの1作のみのようです。昭和26年(1951)に藝術院賞、昭和36年(1961)に文学博士号を得ています。伝記も複数出ていますので、この小説についてどのように記述されているか確認して見たいと思っています。(以下続稿)