瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子城(8)

 前回と同じ人から聞いた話がもう1話。『戦国の終わりを告げた城』70頁8〜10行め、「造形大の怪談」の節だけれども、大学とは関係ない内容である。

 これも松尾さんが市内にある「龍神太鼓」のメンバーの一人から聞いた話であるが、御主殿の/滝のちかくで練習をしていたとき、突然鬨の声がわきおこり、打つ手をとめると、そこへアベッ/クが真っ青な顔をして走ってきて、滝をみていたら急に真っ赤に染まったと告げたという。‥‥


 龍神太鼓のメンバーは鬨の声を聞いている。今は死語と云ってよい「アベック」が鬨の声を聞いたのかどうかは分からない。とにかくほぼ同時に、恐らく休日の昼間に、鬨の声と滝の変色と云う複数の怪異が発生したわけである。
 御主殿の滝が「真っ赤に染まった」のは、次の伝承に拠るのであろう。すなわち、29〜54頁「第二章 落城の悲劇」の5節め、44頁3行め〜52頁(13行め)「旧暦六月二十三日」の節、49頁9〜10行め、敵勢が「御主殿/になだれこんだ」ときのこととして、10〜13行めに、

‥‥。武士/の妻女たちが自刃して滝下の淵に身/を投じたのはこのときであり、城山川の水が三日三晩赤く染まっていたという悲しい話が地元に/残る。‥‥

とある。この、川の水が血で染まったことは「第三章 忌み山となる」の2節め、58頁1行め〜59頁12行め「幽鬼へのおそれ」の最後の段落にも、59頁8〜12行め、

 土地の人びとは落城以来、この日には恐れて山にはいらず、派手ごと賭けごとなどをつつしみ、/宗関寺や相即寺に詣でて戦死者の霊をとむらい、小豆飯*1を炊いて仏壇に供えた。祝い日に炊かれ/る小豆飯を供えたのは、おそらく落城の日に血で染まった城山川の水で米や麦をといだことが記/憶に焼きつき、こうした供養となって定着したのであろう。第二次大戦後この習わしは絶えてし/まったが、いまでも落城の日に死者を悼む人は少なくない。

と、土地の風習の由来と絡めて持ち出されていた。(以下続稿)

*1:ルビ「あずきめし」。