瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

事故車の怪(2)

 松谷みよ子『現代民話考』に載る「中古車の怪」6話のうち、2016年12月30日付(1)に取り上げた2話は「中古車」の話ではなかった。「事故車の怪」とすれば6話を引っくるめての題となりうるとしたが、あの2話は単行本315頁13行め〜320頁2行め・文庫版367頁10行め〜372頁6行め「事故死した人たち」5話に含めるべきだったと思う*1
 残りの4話はまさに「中古車の怪」である。仮に番号を付して要素を示すと、安価であったことが①⑤⑥の3話に、怪異現象は、①声が聞こえる。④綺麗に拭いても変な模様が浮き出る。⑤運転中、元の持ち主らしき幽霊が飛び出して来て事故を起こし運転手重傷、同乗者死亡。⑥夜運転すると後部座席で女性の幽霊が2人泣く。そして①④⑤が事故車であったことになっている。時期と場所は①昭和33年(1958)青森県青森市、④埼玉県狭山市、⑤昭和40年(1965)頃・埼玉県狭山市、⑥京都、なお「出典・「佐海民俗」六〇号(堺民俗会)。」となっているが「左海民俗」の誤り、60号は昭和59年(1984)刊と思われる。①は買おうと運転席に座ってみたところ後ろから「そこは私の席ですから、すわらないでください、ハンドルに手をつけないでください」と云う若い女の声がする――結局、誰も買い手が付かなかった、と云うことになっているが、④⑤⑥は買ってしまってから怪異に遭遇し、④は売り主に返している。
 以上4話、いづれも生首の件はない。しかしながら、現在では生首の絡む話の方が一般的になっているようだ。すなわち、『現代民話考』以降に流行したらしく思われる。
 ちなみに、私は運転免許も持っていないし、学部生時代、地方出身者を中心に運転免許を持っている友人も何人かいたが、彼らも実家に帰省した折に乗るくらいで東京では乗っていなかったので、自動車の話題で盛り上がるようなことはなく、今でも自動車のことはよく分からない。携帯電話も持っていないが、持たずに済ませられる限りは持たない主義なのである。それはともかく、幼時、父が白いカローラを買って、週末ごとに家族でドライブに出掛けていたのだが、当時の父は毎晩残業続きで週休2日制でもなかったから、折角の日曜を休息に充てずに運転で神経を磨り減らしたくはなかったらしい。しかし、通勤は電車で、他に運転する人もいないので、週末に乗らなければバッテリーが上がってしまう。結局バブル期の前夜に子供も中学生になって家族でドライブでもなく、連夜の接待にいよいよ乗る暇もなくなって知人に譲渡してしまった。以来30年、自家用車のない暮らしを続けているので、余所でごくたまに乗せてもらう機会があると、慣れないので少々戸惑ってしまう。電話の方も、家の電話も滅多に掛かってこないので話しているうちに汗を掻いてしまうし、もちろん話しながらお辞儀している。
 余計な話になってしまったが、とにかく私は自動車の話題で盛り上がる環境になかったので、この話を耳で聞く機会はなかった。
 ネットで検索するとそれこそ際限なくヒットするので、ここでは10年以上前の資料に限って、以下見て行くこととしたい。(以下続稿)

*1:中古車の怪」6話全てを「事故死した人たち」に含めたって良いのだけれども。