・角川文庫602『秋の日本』(3)
一昨日からの続き。
訳者の1人、村上菊一郎(1910.10.17〜1982.7.31)については、2011年4月1日付「村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証(13)」に触れたことがある。この「村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証」はその後、滞っているのだけれども、2011年4月1日に投稿した分の残りが「村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証(14)」と題するメモとして7年近く手付かずで残っていたのを見付けた。「村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証」は完成させたいと思っているのだけれども、このメモに加筆する余裕はしばらくなさそうなので、ここにメモをそのまま挙げて、調査は改めてやり直すこととしたい。
102〜104頁が考察。
村上氏のパリ滞在期間・滞在場所。
既に「K」と村松氏そして「伊藤さん」が似た顔をしていた、という条件が示されていましたから、村松氏は、トイレで見たのは伊藤さんではなく、自分が「離魂病」(103頁)つまりドッペルゲンガーの症状を示して、自分で自分を見たのかも知れない、と説明しようとしていますが、
「田園の憂鬱」「二つの手紙」
随分間が空いてしまいました。実はすぐにでも続きを上げる予定だったのですが、調べてみると、登場人物である村上菊一郎(1910.10.17〜1982.7.31)に『マロニエの葉』という
この『マロニエの葉』と云う随筆集を当時、閲覧した。借りることが出来なかったのでメモを取ったのだが、そのメモも今はどこにあるのか分からない。内容は欧州留学中のことを述べたものだった(と思う)が、村松氏に会ったとか云った『わたしは幽霊を見た』の記述と結び付けられそうな記述はなかったように記憶する。
つまり、あまり参考にならない本の閲覧に手間取っているうちに(当時は今より暇だったこともあって)続きを上げることも滞ってしまったのである。「伊藤さん」も探して見たが『わたしは幽霊を見た』は村松氏の体験談集を装っているけれども実際には作家志望だった村松氏の創作集と云った方が良い本で、半ば以上虚構なので実在しない可能性も高いし、実在のモデルがいたとしても、こんな奇行を示した留学生を実名で登場させるはずがない(と思う)ので、――今からするとなんでそんなことまで調べようとしていたのか、とにかくこの話の調査が滞ったことが「村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証」の中断の主要因となったのでした。
それでも気には懸かっていて、2013年8月14日にも、
登場人物の村上菊一郎の著述を確認して置こうと思って、それで図書館の書庫から出してもらって見たのだけれども、もう一度見て置こうと思って、そしたらそのままになってしまった。当時覚えていたことも忘れて来ているので、ぼちぼち再開したいと思ってはいる。
と書き始めたのだけれども、やはり続かなくなって放置していた。
それはともかく、村上氏の経歴は荒井大樹のHP「井伏鱒二 と 荻窪風土記 と 阿佐ヶ谷文士」の第三部「阿佐ヶ谷文士 : それぞれの「人生と文学」」、「村上菊一郎」項に詳しい。本書刊行当時は早稲田大学文学部助教授、村松氏をパリの空港に出迎えた頃は教授、昭和56年(1981)定年退職して名誉教授。(以下続稿)