瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(58)

岡本綺堂「影」(2)
 岡本氏晩年の戯曲「影」については、初出誌から取った複写がどこかに紛れ込んでしまい、そのうち本文も2011年1月9日付「岡本綺堂『飛騨の怪談』(1)」に書影を貼付した、東雅夫編の幽Classics『飛驒の怪談 新編 綺堂怪奇名作選』に収録されてしまったため、改めて初出誌の閲覧して、複写或いは必要箇所の筆写などを行おうと云う気にならず、そのままにしておりました。
 そこで2011年1月16日付(06)に取り上げたときには、昭和22年(1947)10月初演時の舞台写真と配役、当時の劇評を挙げるに止めていました。その後もやはり、初出誌を見に行っていないので、当初意図していたことの続きは今でも書けません。
 今、書き得るとすれば、この戯曲の評価についてです。
 堤邦彦「「幽霊」の古層」の前回引用した箇所には、この戯曲が小説「木曾の旅人」と並べて「亡霊と旅する男の話」の「全国レベルの普及」に与ったもののように書かれていました。この点については当ブログ発足当初からの主題のようなものの1つで、もっと丁寧な議論が必要だと思っているのですが、そうでなくても声価の高い「木曾の旅人」と、発表後70年余り、前記『飛驒の怪談』に附載されるまで1度も再録されることがなく、占領下、恐らくGHQの歌舞伎検閲により演目・内容が限られる中で1度きり上演されただけの戯曲を並べて扱う*1ことには、非常に違和感があります。これは所謂“無視して良い”レベルの作品なのではないでしょうか。
 事実、この1度きりの上演を見ていた安藤鶴夫は「綺堂の凡作」と切り捨てています。これも今、念のため手許にある、近所の市立図書館のリサイクル図書の棚(!)から拾って来た大笹吉雄『日本現代演劇史 昭和戦後篇Ⅰ』の引用を参照して見ましたが、2011年1月16日付(06)に引用した以上の内容としては、409頁10行め、

 綺堂の凡作『影』の炭焼きの老人を仮りにあの通り他の俳優が演じたとしたならどうであろう。‥‥

と、晩年に差し掛かり休演明けだった六代目尾上菊五郎(1885.8.26〜1949.7.10)の演技に、410頁9行め「意欲」15行め「精神力」が伴っておらず「他の俳優」が「あの通り」に「演じた」方がマシだったかのように書いていることを追加して置きましょう。それから演出を担当したと思われる巖谷槇一(1900.9.12〜1975.10.6)の脚色も、詳細は国立劇場に所蔵されている花柳章太郎使用台本を確認しないといけませんが、本作を活かすものとはならなかったようです。しかしそれもやはり、土台になる岡本氏の脚本が安藤氏の云う通りの「凡作」なのですから、以後再演がないのも無理からぬところと云うべきでしょう。(以下続稿)

*1:9月20日追記】投稿当初「取り上げる」としていたのを修正。