堤邦彦「「幽霊」の古層」(3)
それでは早速、「二 江戸怪談の影響力」の章の3節め「亡霊と旅する男」*1の、昨日の続きから最後まで見て行きましょう。
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と、先月28日(か29日)に8月30日付(47)として書き始めたのですが、9月6日付(47)に述べたような理由で後回しにして、その間に国立国会図書館での調査結果等を上げておりました。
それでは、満を持して8月29日付(46)の続きを、と云いたいところなのですが、半月以上間が空いてしまって、情けないことに忘れかけております。が、別に用意出来ている記事もないので、ぼちぼち思い出し、読み直ししながら、以下は草稿に手を入れながら上げて置きましょう。
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198頁22〜29行め、
じつは、亡霊と旅する男の話の流路には、地方口碑としてのひろまりとは別に、/岡本綺堂「木曽の旅人」(『近代の異妖篇』[1925年]所収)や、同じく綺堂の戯曲/「影」(1936年)などの創作文芸を介した、より広汎な一般社会への拡散が想像さ/れる7。蓮華温泉の幽霊話の淵源を、信州白馬岳を訪れる登山家の噂話に求める見方/もあるものの8、一方では顕道、綺堂らの文芸想像力によって、土地の山岳奇談にい/っそう幻妖な話の凄みが加わり、小説、戯曲の公刊を経て全国レベルの普及がもた/らされたと考えることもできるのではないか。口承と文芸は表裏一体の関係にある/と見ておきたい。
文中の「7」「8」は註番号で上付きですが、再現出来ないので下付きにしました。すなわち、198頁脚注に、
7 東雅夫編『岡本綺堂妖術伝奇集』(学研M文庫、2002年)解説に、「木曽の旅人」と「蓮華/ 温泉の怪話」の比較検証が載る。
8 加門七海「解説」『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集其ノ二』原書房、1999年。
とあります。
さて、註7の東雅夫の解説「和漢洋にわたる猟奇の魂――伝奇と怪異の巨人・岡本綺堂」ですが、2011年1月2日付(01)に触れています。しかしながら、そこに引用した箇所は「比較検証」のようなものではありませんし、他にそのようなことがなされていたと云う記憶もありません。ただ、当時は題の通り、「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」の関係を指摘した加門七海、両者を同じ本、すなわち学研M文庫 伝奇ノ匣2『岡本綺堂 妖術伝奇集』に収録した東雅夫の指摘から漏れている事柄の、文字通り「拾遺」のつもりだったので、あまり細かいことまでメモしていませんでした*2。当ブログも始めたばかりでした。
そこで、改めて『岡本綺堂 妖術伝奇集』を借りて、東氏の解説(811〜818頁)を確認して見たのですが、817頁15行め、
巻末には付録として、とびきり珍しい関連資料を収録した。
として、799頁(頁付なし)を扉「関連資料 〈木曽の怪物/蓮華温泉の怪話(『信濃怪奇伝説集』より)〉」として収録される2篇、まづ800〜803頁「木曽の怪物*3――「日本妖怪実譚」より」について、817頁16行め〜818頁10行めに解説し、続いて804〜810頁「蓮華温泉の怪話――信濃郷土誌刊行会編『信州百物語 信濃怪奇伝説集』より」については818頁11〜13行め、やはり2011年1月2日付(01)に引いた記述しかありません。何だか狐につままれたような気分でした。ちなみに1行分空けて818頁14行めは下寄せで「東 雅夫」とあって、本当に最後に軽く触れたと云った体なのです。
堤氏は綺堂晩年の戯曲「影」の影響も指摘していますが、この戯曲も『岡本綺堂 妖術伝奇集』ではまだ特に取り上げられておりません。この戯曲「影」については次回取り上げることとしましょう。それから『近代異妖篇』の書名と刊年(大正15年)が間違っています。
註8の加門七海「解説」は、2011年1月8日付(04)に引きました。2011年1月22日付(07)に引いた、その翌年の東氏との対談でもそうですが、確かに加門氏は「蓮華温泉の怪話」の原話を岡本氏が知って、その「手練れ」の筆で「作品に仕上げていった」と見ているようです。
但し「蓮華温泉の怪話」を「木曾の旅人」の原話として指摘したのは、加門氏が初めてではなく、昭和57年(1982)刊、星野五彦『近代文学とその源流―民話・民俗学との接点―(以文選書20)』が最初のようです。星野氏の指摘は、2013年6月30日付(19)に加門氏の見解についての私見を纏めた上で、2013年7月1日付(20)・2013年7月2日付(21)・2013年7月3日付(22)に紹介して置きました。
それはともかく、私はこの「山岳奇談」が本当に、198頁6〜7行め*4「昭和初期の北信地方に伝承圏をひろげていた」のか疑いを持っていますが、それについては末廣昌雄の別稿*5と合わせて改めて論じるつもりです。(以下続稿)