・岡本綺堂「影」(3)
昨日触れたように、本作を読むには10年前に幽Classics『飛驒の怪談』に収録されるまで、初出誌に当たるしかありませんでした。――私は2014年3月24日付「楠勝平『おせん』(1)」に述べた、浪人時代に入り浸っていた某区立図書館で『岡本綺堂読物選集④異妖編 上巻』を閲覧して、2011年1月4日付(03)に引いた、岡本経一の記述を目にしてから何となく心懸けて、爾来十数年、まぁその間ほぼ何もしていなくて、思い出しては少し調べて進む、と云った按配で、漸く早稲田大学の演劇博物館にて初出誌を閲覧して、酷く拍子抜けしたものです。しかし考えて見れば、傑作なら『岡本綺堂読物選集』と同じく養嗣子の岡本経一によって編纂された『岡本綺堂戯曲選集』に収録されていて良さそうなものなので、他にも一切再録されて来なかったと云うのは所詮そこまでの作ではなかったのだ、としみじみ思ったものでした。しかしながら、こっちとしては十数年来の懸案であった訳で、落胆も一入だったのです。
ちなみに岡本経一の記述は、東雅夫の「木曾の旅人」関係作品探索の手懸りにもなっているので、幽Classics『飛驒の怪談』310〜317頁「編者解説」にも引用(311頁1〜5行め)されていますし、学研M文庫 伝奇ノ匣2『岡本綺堂 妖術伝奇集』の解説、811〜818頁「和漢洋にわたる猟奇の魂――伝奇と怪異の巨人・岡本綺堂」にも全く同じ箇所が引用(818頁2〜6行め)されています。
ここに改めて引用して置きましょう。『岡本綺堂 妖術伝奇集』の改行位置を「/」、幽Classics『飛驒の怪談』の改行位置を「|」で示しました。ともに1字下げで引用の前後を1行分ずつ空けています。異同は幽Classics『飛驒の怪談』は2箇所の書名を二重鍵括弧にしていることと、3箇所を「木曾」としていることです。
明治三十年代の文芸倶楽部に彼は「木曽のえてもの」という随筆をかいている。「明/治二十四年|三月、父に従って軽井沢に赴く」と年譜にある、その時に木曽の杣から聞い/た話である。大正二年|三月発行(鈴木書店)の「飛驒の怪談」はその小説化であろう。/この本はスリラー物語集である。|大正十年三月発行(隆文館)の「子供役者の死」にも/「木曽の怪談」として載せている。近代異妖|編所載のものは更にその改訂である。
『岡本綺堂 妖術伝奇集』は「木曽の怪物*1」の紹介が、そして幽Classics『飛驒の怪談』は鈴木書店版『飛驒の怪談』の紹介がメインですから、東氏の引用にはこの段落の最後、続いて「‥‥。晩年の昭和十一年三月、これを「影」として戯曲化したが、戦後の二十二年十月、六代目菊五郎と花柳章太郎の顔合せに初めて上演された。一つの作品にも五十年の歴史があることになる。」とあったのが省略されています。(以下続稿)
*1:ルビ「えてもの」