瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の蔵書(204)矢田挿雲①

 矢田挿雲の本は、寝間の押入に『忠臣蔵』があったが状態が悪い(元の紙質が悪い)ため、メモを取ってそのまま残して来た。若い古本屋に見てもらったが、古いことは古いのでしばらく点検していたが、やはり状態の悪さから採ってもらえなかった。他にも、祖母の家に残したままにした本のメモが大量にあるのだが、その入力は後回しにする。
 以下のシリーズは客間のクローゼットにあった。小口の上半分が特にヤケていて、かつ揃いで持っていたと思うのだが1冊欠いている。Amazon を見ると1円とか3円とかで出品されている。そこで一応持ち帰ったのだが廃棄することにした。いやはや、もう、引き取ってもらえそうなものは古本屋に持込み、ヤケや汚れのある、字の小さな文庫本は処分して行かないと間に合わない。
・中公文庫『江戸から東京へ』中央公論社
(一)昭和五十年二月二十五日印刷・昭和五十年三月 十 日発行・¥380・367頁

(二)昭和五十年三月二十五日印刷・昭和五十年四月 十 日発行・¥300・276頁(四)昭和五十年五月二十五日印刷・昭和五十年六月 十 日発行・¥320・317頁
(五)昭和五十年六月二十五日印刷・昭和五十年七月 十 日発行・¥340・333頁(六)昭和五十年七月二十五日印刷・昭和五十年八月 十 日発行・¥360・342頁(七)昭和五十年八月二十五日印刷・昭和五十年九月 十 日発行・¥340・325頁(八)昭和五十年九月二十五日印刷・昭和五十年十月 十 日発行・¥340・336頁(九)昭和五十一年三月二十五日印刷・昭和五十一年四月 十 日発行・¥300・269頁三田村鳶魚編『未刊随筆百種』全12巻のチラシ(B6判)2つ折にして挟まる。「第1回5月10日発売」。

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 祖母(及び伯母)の遺品整理も、アルバムや日記・書簡類を家人の従弟に引き取ってもらうことになったので、昨日までにリンゴ箱に3箱発送した。しかし十分に内容を整理した訳ではないので、選別がなかなかに難しい。しかし私は手を引くことにしたので、今後も保管するかどうかは先方に任せることにして、とにかく余り考えずに送れるだけ送ってしまおうと思っている。もう2箱は送るつもりである。
 それから、私自身のもの、院生時代に取った論文の複写、それからよく使う影印本もいつでも見られるように複写を取っていたが、もう裏紙として使おうと思っている。流石にマイクロフィルムから取った新聞の複写、所蔵機関に依頼して送ってもらった古写本の複写などはしばらく取って置こう。既に校正紙などは職場で裏紙として使っている。
 それから、自分の本も、私はこれまで本を売ったり捨てたりして来なかったのだが、古くて状態の悪い本、或いは図書館に行けば間に合う本、ネットで閲覧出来るものなどは、思い切って処分することにした。パンフレット類は、そのとき、その場所にいたから入手出来たので、やはり躊躇がある。しかし、学術書など、先学から当時新鋭(?)であった浅学の私への期待を込めて贈ってもらったものが少なくないので、非常に気が咎めるのだが、気が付けば私も数えで五十五である。後何年生きるのか、そのうちどのくらい能力を保ったまま生きていられるのか、それを考えると今、自ら処分するのが良さそうである。若い時分に期待通りに活躍出来れば良かったのだが、残念ながらその学術書を贈ってくれた教授とは別のジャンルの教授に籠絡(?)されて、そちらの方面での活動を十分にすることが出来ず、そして出身大学から移った(定年が近かった出身大学の教授とも話が付いていた上に、決断まで時間的余裕を与えられなかったので、何も考えずに移らざるを得なかった。考える余裕があれば、いや、自分たちがそうなってしまった訳だが、悲惨な先例を見ることになった訳だから、決して移らなかったと思う)大学院で心身とも(主として前者)消耗して、結局学界からは足を洗い、一応研究らしきこともしているが、学界には何の未練もない。だからこの際売り払って誰かこれからの人に安価に入手してもらって(今、学界と没交渉で有望な若手も知らぬ故、直接お譲り出来ないので)役立ててもらえれば、と言いたいところなのだが、マイナーなジャンルなので今後いよいよ需要があるのかどうか。(以下続稿)