・関川夏央『昭和三十年代 演習』2013年5月28日第1刷発行・定価1500円・岩波書店・醃+194+6頁・四六判上製本
- 作者: 関川夏央
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/05/29
- メディア: 単行本
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それはともかく、昨年の5月8日、ちょうど1年前になるが、図書館の書棚に本書を見掛けて、手に取って見た。と、前付酈〜醃頁「目 次」の、酈頁の左側、8〜14行め「第二講/「謀略」の時代──松本清張的世界観」が目に入った(25〜58頁)。続いて示される細目には、
社員だから「佳作」/「始末書文学」としての『舞姫』/線路の彼方の自由|/時代の「需要」に見合った作品/「黒幕」について/「点と線」がつなぐ|広域事件/時刻表を「読む」女/無理強いするトリック/歴史から「記憶」|へ/下山国鉄総裁謀殺論/謀略史観を生成する空気/「汽車旅」のリアリテ|ィ/三島由紀夫の強硬な反対
とある(改行位置は「|」で示した)。
私はまづ「社員だから「佳作」」が気になった。これはもちろん、松本氏の処女作「西郷札」についての記述だが、松本氏はこの懸賞応募について、複数の説明をしていて、関川氏が述べるような単純な事情ではなかったらしいのである。そこでこれについて関川氏を批判しつつ記事にしてみようと思いながら、その複数の記述を集めるのが今の私には少々厄介で、そのままになってしまったのだが、『砂の器』に関する記述も、変なのである。しかしこれも、野村芳太郎監督の映画を見ないことにはおかしいと思ったところをきちんと指摘出来ないのだが、先日『砂の器』のDVDを借りていたときにはすっかり関川氏のことは忘れていて、3月21日付「松本清張『砂の器』(1)」に、末恒駅の美女(?)について書いて、そのまま返してしまった。
そして今回、やはり図書館で目に留まって久し振りに本書を借りて来て、またざっと目を通してみると、3月に野村芳太郎監督の映画、4月に犬童一心監督の映画を見、その間に原作も読んだ『ゼロの焦点』に関する記述も、おかしいことに気が付いた。そこで、一度頭からきちんと読んでみようと思ったのである。(以下続稿)