瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

関川夏央『昭和三十年代 演習』(1)

 投稿当初「[小説の背景]松本清張ゼロの焦点』(5)」と題していたが、『ゼロの焦点』の内容には全く及ばないので改題した*1

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 書影及び発行日等は5月24日付「松本清張『ゼロの焦点』(4)」に示しました。
 カバー表紙折返しに、

昭和三十年代とは、どのような時代だったのだろう。明るく輝き,誰もが/希望に胸をふくらませていた時代だったのだろうか。貧乏くさくて、可憐/で、恨みがましい――そんな複雑でおもしろい当時の実相を、回顧とは異/なる、具体的な作品と事象の読み解きを通して浮き彫りにする。歴史はど/のようにつくられ、伝えられてゆくのか。歴史的誤解と時代の誤読を批判/的に検討する。【創業百年記念文芸】

とあります。「演習」と云うのは大学文学部の授業「××文学演習」みたいなもので、――「××文学講義」だと教授が取り上げる作品の内容について、自分の理解に基づく要約を示して、さらに自説を講義して行く。「××文学講読」だと作品を読みながら、やはり教授が自説を講義する。しかるに「××文学演習」と云うのは、学生が自分で作品を読んで来て(担当者が)内容を紹介し、さらに自説を提示して教授や同じ授業に参加している学生たちの批評を求める、と云ったような授業で、自らやってみるということでは「問題演習」や「軍事演習」と同じことです。関川氏は「具体的な作品と事象の読み解き」を「演習」と読んでいる訳です。
 さらに、189〜194頁、関川夏央「『昭和三十年代 演習』その経緯と始末――「あとがき」にかえて」に拠ると、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』について、あれは現実に近いけれども「物語」であって歴史ではなく、韓国・北朝鮮ナショナリズムも同様に、そうあってほしい「歴史のようなもの」で「やはり「物語」」なのだとの説を岩波書店の編集者に伝えたことがきっかけになって、190頁3〜7行め、

 ――というようなことを岩波書店の坂本政謙さんに話したところ、それをぜひまたやってくだ/さい、といわれました。
 「また」とは、前にも岩波書店の編集者の小グループを相手に、時代小説とは何かというテーマ/で何回か話したことがあったからです。それは後日、『おじさんはなぜ時代小説が好きか』という/本になりました。そのときとおなじスタイルで着手してはどうか、という提案でした。

と云うことになります。

おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために)

おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために)

おじさんはなぜ時代小説が好きか (集英社文庫)

おじさんはなぜ時代小説が好きか (集英社文庫)

『おじさんはなぜ時代小説が好きか』は未読*2。(以下続稿)

*1:従って投稿当初の冒頭の一文「『ゼロの焦点』に関する記述のどこがおかしいのかを検討する前に、まづこの本がどのようなものであるかを見て置きましょう。」を削除して差し替えた。なお、文体の敬体と常体は2015年9月12日付「山本禾太郎『小笛事件』(5)」の冒頭、2016年11月19日付「鉄道人身事故の怪異(10)」の末尾、その他に述べたように、執筆時の気分及び内容によって選択したもので敢えて統一しなかった。

*2:5月27日追記】まだ読んでいないが、同書を手にして発行日・定価・頁数及び「あとがき」について、5月27日付「関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(1)」にメモした。