瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

日本の民話『紀伊の民話』(25)

 昨日の続き。
・「おじさんの話」(5)
 それでは今回は、②講談社松谷みよ子全集』第十二巻(1972)の松谷みよ子「作品覚書」について見て行くこととしましょう。
 組み方が違うので厳密な比較ではありませんが、松谷氏の「作品覚書」は174~175頁の見開き2頁で、それぞれ3頁ずつあった①③の「あとがき」よりも字数が制限されているので、少なからず重なる内容を含みますがかなり趣の違った文章として仕上がっています。
 その①(及び③)の「あとがき」とも比較しながら、確認して行くこととします*1
②1段落め】174頁1~5行め

 ずいぶん旅をなさったのでしょう。日本全国歩かれましたか、などといわれるたびにわたしは赤面/する。民話の本を幾冊か出しているのでさぞや旅をしただろうと思ってくださるのだけれども、子ど/もをかかえ、しごともあればなかなか気がるに旅に出られない。なにやかやとがんじがらめの日常が/あって、ふりきるようにしてでなくては旅には出られない。それでも細々と採訪に歩いてこられたの/は、民話をじかに聞き、その生活の背景にふれることに魅せられたからである。*2


 ここは①「あとがき」では「 旅をしたり、資料を読んでいると、作品にはならないけど魅かれる話、という/のがある。\たとえば‥‥*3」と、冒頭(148頁2~3行め③204頁2~3行め)であっさりと済ませていて、以下「鯨小学校」、2段落めは「べにつばき」の能登山、3段落めは「ゆうれい」の十九原と「若葉のころ」の姫淵、そして4段落めは前回引用しましたが「洪水のはなし」に触れております。
②2段落め】174頁6~10行め

 わたしはとくにむかし話の語り手、あの村のばあさまは六十話語る、百話語る、というような語り/手を訪ねるということではなく、山で木を伐っているおじいさんがいればそばにすわり、海べにおば/あさんがいればそこにすわりというようにして話を聞いてきた。だから完全なむかし話の型を聞くと/いうより、伝説とむかし話が重なりあったあたりを聞くことが多かった。それがよかったと思う。な/ぜならそのあたりにこそ、祖先とのであい、人間とのであいがあるように思われるからである。*4


 当時はまだ岩崎としゑ(1907.3.2生)に出会っていなかったので、やや無計画に語り手を探し歩いていた、信州や紀州での体験を踏まえての記述となっております。
②3段落め】174頁11~12行め
 ①2段落めの、「べにつばき」の能登山について、地名を出さずに簡略化しています。
②4段落め】174頁13~17行め
 ①にはない、むじなの生態についての伝聞、何処で聞いたのかは示しておりません。
②5段落め】174頁18行め~175頁1行め

 歩いていくうちには、がんと頭を打たれるような話もある。ある池のほとりで聞いた話もそうだっ/た。民衆が民衆を差別する話を語りついできた。それはいくら民衆が語っても民話ではない。なんと/*5【174】もいえない怒りがこみあげた。ではどういう形でそれをわたしは語るべきだろうか。*6


 これも①にはない。この話が昭和49年(1974)刊の『民話の世界』に見えていることは、2020年3月28日付「飯盒池(8)」に取り上げた通りですが、当時私は松谷氏の主張に殆ど接していなかったので賢しらな批判を加えたものでした。しかし、そこはやはり松谷氏の方が一枚も二枚も上手で、本作の「ある池のほとりで」に既に活用していて、問題提起もしていたのでした。これについては、或いは再説の機会を設けるかも知れません。
②6段落め】175頁2~13行め
 ①「あとがき」5~6段落めを纏め、よりすっきりと主張を強める形で書き直しています。
②7段落め】175頁14~18行め

 そんなことを思っているとき、日教組の相馬さんが教育新聞になにか書いてみないかといってくだ/さったので書きはじめたのが「おじさんの話」である。昭和四十二年五月から四十五年の三月まで、/よくつづけて書かせてくださったものと思う。作品といってよいのか、じぶんでもとまどうようなも/のだけれど、またこのごろ、書きとめておかなくてはと思うこともたまってきた。形はともかく、方/向としてはもっと深めたいと思うのである。*7


 ここは①7~8段落め(③6段落め)を簡略にした上で、新たな方向性を打ち出したと云うことを、付け加えております。
 なお「相馬さん」のフルネームは①に「相馬正一氏」とありました。太宰治の研究者で、重松静馬『重松日記』の編者である相馬正一(1929.2.11~2013.2.5)と同姓同名ですが、こちらの相馬氏は当時、青森県弘前高等学校教諭で日本教職員組合の機関誌「日教組教育新聞」の記者を勤めた相馬正一とは別人です。しかし「相馬正一」で検索したときに、日教組の相馬氏が紛れている可能性があることを、ここでは注意して置きましょう。
 最後、19行めは下詰めでやや大きく(松谷みよ子*8とあります。(以下続稿)

*1:なお①の引用には改行箇所を「/」で示しましたが参考までに③のそれを「\」で添えました。

*2:ルビ「たび・につぽんぜんこくある・せきめん/みんわ ・ほん・いくさつ・だ ・たび・おも・こ /き ・たび・で //」。

*3:ルビ「しりよう・ひ /」。

*4:ルビ「ばなし・かた・て ・むら・わ かた・わ かた・かた/て ・たず・やま・き ・き ・うみ/はなし・き ・かんぜん・ばなし・かた・き /でんせつ・ばなし・かさ・き ・おお・おも/そ せん・にんげん・おも」。

*5:ルビ「ある・あたま・う ・はなし・いけ・き ・はなし/みんしゆう・みんしゆう・さ べつ・はなし・かた・みんしゆう・かた・みんわ 」。

*6:ルビ「いか・かたち・かた」。

*7:ルビ「おも・につきようそ・そうま ・きよういくしんぶん・か /か ・はなし・しようわ・ねん・がつ・ねん・がつ/か ・おも・さくひん/か ・おも・かたち・ほう/こう・ふか・おも」。

*8:ルビ「まつたに・こ 」。