昨日予告して置いたように、今日は末吉村の水源に関係する地名を一覧にして示すつもりだったが、まだ補足して置きたい資料もあるので、今日は個々の資料を引用するに当たっての注記に止めたい。
千葉徳爾「末吉地区の民俗」(『八丈島末吉地区文化財調査報告』)の「(2) 小地名」145頁にある「「八丈島誌」水道篇によれば26カ所の湧水地とその名称が記されて/いる」との記述の確認だが、『八丈島誌』改訂増補版、745〜805頁「第六篇 水道史」、785〜797頁「第六章 末吉地区」の「第一節 水汲みの時代 一八五九(安政六)年以前」に、786頁「図12 末吉地区水汲場跡」との概念図に水汲み場の位置が示され、本文787頁に、以下のように集落別に整理されている。
・神子尾部落……⑤イエノモト ⑥オオグワノキ ⑦ハトイノコワ
⑧ヤサリノコワ ⑨ツツンサワ ⑩フネゴワ ⑪アカヤ
・洞輪沢部落……⑫ハシズミ ⑬スノオ ⑭ナゴノカワ ⑮シオマ
・尾越部落……①シンデン ②テシオナワ ⑯セドノサワ(ヘドガワ)
⑰カワダノサワ ⑱イシズミ
・宮裏・宮ケ路部落……③コウノウジ ④ヤシガワ ⑲ヨシチロウ/⑳トンサワ(トウノサワ)
・台ケ原部落……(21)シンカワ (22)キタウラ (23)サンゴウタ
・水海山部落……(24)ミズミノカワ
・アカンタ部落……(25)ムカイガカワ (26)イツダノカワ
(アカンタ部落は、江戸時代まで末吉地区にあった部落であるが、現在はこの/地域には人は住んでおらず、畑になっている。)
787頁に「キタウラの湧水」=(22)・「ヤシガワの水汲場跡」=④、788頁に「ナゴノカワの湧水」=⑭、789頁に「ハトイノコワの水源」=⑦の写真が掲載されている。
なんでこんなことをしているかというと、七人坊主の伝説に出て来る「ハテイの川」という地名は、中之郷には見当たらず、どうも隣接する末吉村の地名らしい、ということからである。それから『八丈実記』に引用される『園翁交語』に見える七人坊主に類似の伝説があったとされる「末吉村」の「八子ノ川/子ノ川/八僧ノ川」の位置(11月2日付(10)・11月3日付(11)・12月1日付(28)参照)について、ついでに当て推量を示してみたいと思ったからである。ここに「末吉村」の川や水源を網羅しているはずだから、以上列挙されているうちのどこかが、この伝説の「川」であろうと思うのだ。
さて、千葉氏はこの『八丈島誌』の「水道史」について、自分の「ききとり」調査では「その名称は地名としては洞輪沢の名古ノ川、台ケ原の三合田のみしか現れてこなかった。」とする。すなわち、⑭と(23)しか確認出来なかったかのように書いている。
それから、同じ「末吉地区の民俗」の150頁22行め〜153頁「(4) 集落内の聖地」のB4判折込み図「図―3*1 聖 地」に記載されている地名も、念のため参照して置きたい(151頁。裏の152頁は白紙で頁付なし)。
*1:12月13日付(30)に言及したように「第1図」、その次のB4判折込み図(147頁)は「第2図」であり、不統一である。