ここで、『八丈島誌』第六篇「水道史」と『八丈島末吉地区文化財調査報告』に載る、末吉村の水源関連の地名について、まとめておきたい。まだ若干確認して置きたい資料もあるし、特に『八丈実記』との対照もすべきなのだが、12月2日付(29)でも触れたように、活字本『八丈実記』の図版では記入されている地名が読めないので、気長に原本閲覧の機会を待つこととしたい。
まず『八丈島誌』第六篇「水道史」を基準として、『八丈島末吉地区文化財調査報告』6.〔民 俗〕千葉徳爾「末吉地区の民俗」の「(2) 小地名」の「第1図 末吉村の小地名」、「(4) 集落内の聖地」の「図―3 聖地」、3.〔人文地理〕大村肇・福宿光一・澤田裕之・山中進「集落の立地」の「第4図 末吉地区におけるゴアの分布及び水道路線/(現地調査による)」にも水源に触れた箇所がある。
昨日も述べたように、千葉氏は『八丈島誌』第六篇「水道史」と自分の「ききとり」とで一致したのは⑭名古ノ川と(23)三合田のみとしているが、これら4つの資料にそれぞれ掲載されている図を対照させていくと、以下のように整理出来るのである。このうち「聖地」の項は必ずしも水源ではなく142頁33行め「川・沢の名称は地域名である」ということで採録したのだが、「集落の立地」の第4図はまさに水源を図示したものである。そして、千葉氏が「ききとり」で聞き出せなかったはずの水源の地名・名称を、大村氏らの現地調査が聞き出しているのだとすれば、もう少し同じ調査団内での、類似項目のすりあわせなどが行われても良かったのではないか、という気がしてしまう(ちなみに調査団長は大村氏)。
それはともかく、『八丈島誌』に、「昭和52年から3か年にわたって実施された東京都八丈島末吉地区集中調査による結果」(『八丈島末吉地区文化財調査報告』大村肇「はしがき」)から、3つの資料を対照させて一覧にして示してみよう*1。
『八丈島誌』水道史 | 「末吉村の小地名」 | 「聖地」 | 「集落の立地」 |
---|---|---|---|
①シンデン | |||
②テシオナワ | テショウナワ | テショウナワ | テシオサワ |
③コウノウジ | 川ノ内 | カワノウチ | カワノウチ |
④ヤシガワ | ヤシガワ | ||
⑤イエノモト | エノモト | ||
⑥オオグワノキ | |||
⑦ハトイノコワ | パチイノ川 | ハトイノゴア | |
⑧ヤサリノコワ | ヤサリ | ヤサリノゴア | |
⑨ツツンサワ | |||
神子ノ尾 | ミコノオ | ミコノオ | |
⑩フネゴワ | フネガワ | ||
ミコザキ | |||
⑪アカヤ | アカヤ | ||
⑫ハシズミ | ハシズミ | ハシズミ | ハシズミ |
⑬スノオ | スノオゴア | ||
⑭ナゴノカワ | 名古ノ川 | 名古の滝 | |
⑮シオマ | |||
⑯セドノサワ(ヘドガワ) | ヘドノサワ | ヘドノサワ | セドノサワ |
⑰カワダノサワ | |||
⑱イシズミ | イシズミ | ||
⑲ヨシチロウ | 与七郎 | ヨシチロウ | |
⑳トンサワ(トウノサワ) | 塔ノ沢 | トウノサワ | |
(21)ムカイガカワ | |||
(22)キタウラ | 北浦 | ||
(23)サンゴウタ | 三合田 | ||
(24)ミズミノカワ | ミミズガワ/ミズミ川 | ||
(25)ムカイガカワ | |||
(26)イツダノカワ |
「集落の立地」では、(21)以下の土地は調査範囲に含めていないから、かなりの割合で『八丈島誌』の示す水源地を確認出来ていることになる。