瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『八丈島誌』(4)

 *本日は予定を変更して『八丈島誌』を続けます*
 『八丈島誌』の「水道史」がいつ増補されたのか、ということだが、初め私は三版だろうと思っていた。
 それは、11月15日付(1)にも触れた、改訂増補版1頁の、八丈町長奥山日出男「八丈島誌改訂版の発刊について」の冒頭に、次のようにあるからであった。

 昭和四十八年三月、八丈島誌が発刊されて以来、昭和五十八年二月には、新たに「八丈島の水道史」と、昭和/四十八年以降の八丈島年表を追加し、再刊いたしました。


 奥付には、昭和48年(1973)の初版と平成5年(1993)の改訂増補版の間に昭和58年(1983)の三版の発行日をわざわざ入れているのだが、これは奥山氏のいうように、三版が単なる増刷ではなく数十頁の増補を行ったことを尊重したからだろう、と推測してみたのである。
 しかし、昭和56年(1981)の『八丈島末吉地区文化財調査報告』を見ると、『八丈島誌』水道篇、という書名が挙がっている。これは奥山氏の、昭和58年(1983)に「新たに」八丈島の水道史「を追加し」という記述と矛盾する。
 そこで昨日12月15日付(3)で、『八丈島誌』改訂増補版の「第六篇 水道史」を検討し、これが昭和43年(1968)4月の調査報告で、時期的にも『八丈島誌』初版より早いところから、この「水道史」のみ何らかの形で『八丈島誌』より先に、別に単行されていたのではないか、との推測を示して置いた。
 それを、三版の時点で抱き合わせたのだろう、と考えてみたのである。
 しかしながら、これは間違いであった。
 『八丈島末吉地区文化財調査報告』を見て行くと、12月14日付に引用した千葉氏以外にも、水源・水道の記述を『八丈島誌』から引用したところがあるのである。
 それは、23〜40頁「3.〔人文地理〕」大村肇・福宿光一・澤田裕之・山中進「集落の立地」のうち29頁9行め〜37頁4行め「II 家屋の立地」の31頁21行め〜34頁「2.水との関係」に、31頁33行め「地元民」は「ゴワ・コワ・ゴウ・コウなどと呼」ばれる「湧水地」*1を利用して来たことを指摘し、その位置を33頁「第4図 末吉地区におけるゴアの分布及び水道路線/(現地調査による)」に示し、32頁6〜15行めの段落で次のように説明する。

 簡易水道開設以前、どのような湧水地が利用されていたかは不明であるが、伊豆諸島文化財総合調/査報告書*2では、追求しうる近世末の末吉地区の水汲場として13カ所、八丈島誌では20カ所*3(水海/山とアカンタ部落を除く)の名称と分布概略図がそれぞれ掲げられている。……(中略)……。末吉地区の主部に近い範囲内で、現在も利用されているか否かは別として、なお湧水のみら/れる地点17カ所の名称と位置を示したのが第4図である。


 ここに引かれる『八丈島誌』は、時期的に三版では有り得ないが、初版にはそもそも水道関係の記述がない。
 39〜40頁の注から『八丈島誌』を拾って見るに、

2)八丈島誌編纂委員会(1973):『八丈島誌』P.227〜228.
4)前掲書 2) P.17.
8)前掲2) P.663.
9)前掲2) P.667.
10)前掲2) P.661〜670.
15)前掲 2) P.17〜18.(以下略)
16)前掲2) P.629〜630、P.640.


 『八丈島誌』の初版は642頁だから、670頁は有り得ない。即ち増補された部分なのである。それは、奥山氏のいう三版で「新たに……追加」されたものではなく、二版での追加としか考えられない。従って、この注が『八丈島誌』を昭和48年(1973)の文献として挙げているのは誤りである。この報告書を見て『八丈島誌』で確認しようとしても該当する頁が存在しない。「二」ではなく「二」なのだから、改版されていてもおかしくはない。しかし、普通はせいぜい象嵌修正程度だろうと思うから、このように二版を見ながら初版の刊年を記載してしまう。だから、このような間違い(混乱)が生ずる可能性を発生させないためにも、このような増補は、きちんと断りを入れるべきだと思うのである。どこかに断りが入っていたのに見落とした可能性もあるが。
 とにかく『八丈島誌』の比較には、現在手許に置いている初版・改訂増補版の他に、二版と三版とも比較をしないといけないようである。しかし、普通はそんなことはしないし、版を全て揃えるのは困難である。だからせめて、改訂増補版1頁のような、混乱させるような説明はしないで欲しいのだ。そして出来れば増補改訂箇所と時期とを明示してもらいたい。
 最後に、この注に挙がっている頁を、本当は二版か三版で確認出来れば良いのだが、未見なので仮に初版と改訂増補版とを対照させて見よう。
 【初版】17〜18頁→【改訂増補版】16〜17頁
 【初版】227〜228頁→【改訂増補版】228〜229頁
 増補部分は対照のしようがない。特に注16だが、本文中に(脱落して)示されていないので、どのような記述に対する注なのかも分からない。但し、次の箇所は内容からしてほぼ間違いないと思う。
 【二版】661〜670頁→【改訂増補版】785〜794頁
 さて、『八丈島末吉地区文化財調査報告』3.〔人文地理〕第4図には「● ゴア」が16箇所確認出来る。1箇所足りない。『八丈島誌』水道史や千葉氏の小地名ききとり調査とともに、明日一覧にして示すつもりである。

*1:37頁29行めには「ゴア・コワ・コウ・ゴウなどと呼ばれる湧水地」とある。

*2:ここに注「7)」がある。39頁を見るに「7)前掲1) P.1081.」とある。前掲1)は以下の通り。「1)大村 肇・岡本兼佳・福宿光一(1960):八丈島・青ケ島の人文地理調査、伊豆諸島文化財総/合調査報告書第4分冊(東京都教育委員会)P.1077.」

*3:ここに注「8)」がある。別記。