瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(11)

・朝鮮烏羽玉譜(6)
 昨日の続きで「国一館の夜」の続きを引いて置く。311頁14行めから314頁5行めまで。

 三、四十分して、妓生が三人ほどきた。妓生はいふ迄もなく朝鮮での芸妓であるが、白いキモノ/で、冬も薄緑か水いろのスカート美しく、胡座して、酒間のあつせんを*1する。――而し、ニホンの、/いまの芸者のやうな、ケバ/\しさと、無教養と安つぽさとがまるでなくつて、典雅で、上品でそ【311頁】のくせ、くだけてゐて、いゝ意味で少しはハイカラで、一めん、文明開化にクラシツクで、あたし/は、蕋から敬服し、渇仰した。――これは、そのゝち、わかつたハナシだが、街角などでおざしき/へゆく妓生の姿をみるとき、彼らが自動車よりも俥にのつてゐると、なんだか、成島柳北柳橋新/誌をかいたじぶんの、意地も張も俠もあつた、そのかみのニホンの芸者の複製版画? とおもはれ/て、一種、いひがたなき美観と詩趣と尊敬をかんじる。――ついこの間、村松梢風氏の「騒人」花/柳号で、自分は「在来の芸者のシヤレのわかるキモチに、上つつらでない、モダン味が加つてきた/ら、正岡容も大いに彼の女らからあいされやう」云々とかいたが、妓生にこそ、あたしの夢想の女/性はありさうだ! とそんな迂愚なることゞもさへ、甘く、哀しく、かんがへられた。
 妓生たちは、濃雲といひ、海月といひ、秋月といつた――。海月といふ妓が、ニホン語で「鳥な/れば飛んでゆきたい。あの家の屋根に」と鴨緑江を諷ひ、濃雲といふのは一番むくちで美しかつ/た。――伽耶琴といふ、ニホンの琴より韻のかなしい琴をひいて南道短歌を*2諷つた。――太い、秀/でた節廻しで、日吉川秋水といふひとの浪花節の律調を、とき%\、なぜか、ぼくに、ほうふつた/らしめた。――それから、長鼓といふ巨大な鼓を撥で打つて、端唄にひとしいものを諷つた。――/こつちのウタは何でもこの長鼓がなければできない、宛かも、ニホンの三味線にあたると李さんが/いふ。
 長鼓は、寄席囃子のガクタイと做ぶ曲のやうに太い鼓が鳴るときと、てけてつてと宮神楽のやう【312頁】にひびくときとある――むろん、とき%\のウタによつて、その打ち方はちがふのだ。
 自分は、長鼓のひびきに、深い秋の夜のかなしみをかんじた。
 朝鮮料理は、かゝるとき、たべきれないほど、二十幾いろならべられた。
 淡いうこんと明緑と薄紅と――さういふ愁ひにみちた、清楚のいろでみたされてゐるのが、支那/料理とはまるでちがふかんじを与へた。――貝柱のつくりだの、松の実の白く茹でたのや、神仙炉/といふ寄せ鍋や、コヽアいろの蜜の餅や、尚*3オムレツに似た卵料理は、可成大小幾いろもあつた。
 李基成さんは、なかの一つの皿に薄黄色く盛られた生栗をゆびさして、
「朝鮮料理には、蜈蚣*4の毒が最もおそろしいので、その毒消しにこの生栗を常に配してあるんです/よ」
といふ。
 あたしも、それで、試みに、一つをつまんで、嚙みしめてみた――うすら甘さが、韓国*5の憂鬱を/身ひとつに含めてゐるやうなこゝちがした。
 そのうち、もう一ぺん、海月が、こんどは西道雑歌を諷つた。――からくりのやうな節のがあつ/た。
 耳傾けてきいてゐたら、俄に、ハタ/\、バサ/\と、障子のそとで、烈しく、木の葉のゆすぶ/れて落ちる気配がした。【313頁】
「わくら葉をゆり落してゐるんですよ」
 李さんが、あたしに解説をした。なるほど、いはれると、泉水へ、あとから/\葉が落る。むせ/んで哭く。
 茲に至つて、あたしの旅愁は、而し、いはうやうなく殆んど涙のあふれ来るほど、切なさ極まつ/たのであつた……――!。


 なお、ネットで検索するとソウル特別市鍾路区観水洞にある「国一館 Dream Palace」という黄土プルガマサウナ(チムジルバン)に関する旅行サイト情報や日本人観光客のブログ記事がヒットする。しかしながら私はKorea語・Korea文字を解さないので、当時の国一館の業態や位置、現在の国一館との関係などには(踏み込まない、というより)踏み込めない。(以下続稿)

*1:「つせんを」に傍点「」が打たれているが「あつせん」に打つべきである。

*2:ルビ「みなみのくにのうた 」。

*3:本文は新字体になっているが「梢」や「尚」は「小」になっている。

*4:ルビ「むかで 」。

*5:ルビ「からくに」。