瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

杉村顯『信州の口碑と傳説』(2)

・編纂の動機
 昨日の続きで、乙部泉三郎「序」及び杉村顯「自序」から、本書編纂について述べた箇所を見て置こう。
 まづ、乙部氏の「昭和八年正月」付の「序」は、まづ「最近頓に勃興した郷土研究」の意義について述べ、しかし、県立図書館長として館の利用者が要求する「信州各地に殘つてゐる口碑傳説」を纏めた「單行本」がないことを「甚だ殘念に思つてゐた」と続ける。そして最後の段落、前付2頁8行め~3頁3行め、

 杉村顯君は長野縣の産ではない。併し本縣に來住して以來、信州の郷/土色豊かなるにすつかり魅惑された一人であつて、その專門とする國文/學の上から、且は生來の趣味の上から日頃信濃の口碑傳説等に深く研究/を進めて居つた。今回其等を纏めて一卷となし題して「信州の口碑と傳/説」と云ふ冊子を上梓すると。その内容は信州各郡に殘つてゐる口碑傳*1【2】説類百三十餘種を集成して同好讀書子に頒つのである。出づべくして今/日まで出なかつた同書の出現は必ずや大方の期待に添ふに相違あるまい。/同僚の好を以て乞はるゝ儘に一言序に代ふる次第である。*2

とある。続いて「昭和八年一月下澣」付の「自序」から、前付5頁4行め~6頁9行め、編纂の動機を述べたところを抜いて置こう。なお大きな黒丸の傍点が打たれている箇所があるが、再現出来ないので仮に太字にして示した。

 私は昭和五年の秋、東京から信州に移り住むやうになり、あの物凄い/ほど冴え冴えと澄徹した星空を初めて眺め、思はず襟を正し度いやうな/一種崇高な氣持ちに捉らへられたのを記憶してゐる。*3
 その頃、私は話好きな宿の老婦から、よく長野市附近の興味ある傳説/の多くを聞かされた。それは朝日山の大にう小にうの大蛇の話、吉田町/の弘法銀杏の話、又、端午の節句の朝、葛山に翻へると云ふ赤旗の話な/どであつた、*4【5】
 私はまるで祖母に話をねだる幼兒のやうに、何時も何時も老婦の話を/貪り聞いては、翌日、私の働いてゐる學校の教室で、生徒達に語り聞か/せたのであつたが、意外にも彼等の中には、全くかうした話を知る者が/なく、以來、却つて他國者の私に、自分達の郷土の傳説を話して呉れる/やうに強請むのであつた。*5
 それで私は、生徒達の爲めに、是非、亡びやうとしてゐる彼等の郷土/の傳説を、一本に取り纏めてやり度い念願を持つに至り、爾来、圖書舘/に諸書を渉獵し古老識學の士に糺して、書きためた原稿が、今漸く筐底/に溢れるやうになつた。*6


 「宿の老婦」と云うのは、奥付の「著者」杉村氏の氏名の右傍に添えてある「長野市南縣町 鴻 靜 館」の女将であろう。旅館の一室に下宿していたらしい。
 ここに挙がっている話は、1~19頁「目次」に続いて、頁付のない「北信地方」の扉があって、本文には立てられていないが目次には「長 野 市」として14話(1~41頁)並ぶ中に含まれているようである。
長野市【8】大入小入の墓(26頁3行め~28頁7行め)
長野市【9】吉田の弘法銀杏(28頁8行め~30頁)
長野市【11】葛山の赤旗(32頁8行め~36頁5行め)
 仮に市や郡ごとに番号を附した。【9】は老婦の語った内容と左程変わらないようであるが、【8】と、特に【10】には、かなり図書館での調査結果が反映されているようである。
 さて、この辺りの事情は叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に載る杉村氏の次女・杉村翠の談話「父・顕道を語る」にも、3節め「『信州百物語』の刊行」の冒頭部、440頁上段17行め~下段19行めに、

 三年余りの長野商業学校での教師生活はとにかく/楽しかったようです。はちゃめちゃな青年教師生活【上】だったみたい。戦後すぐに発表した『新 坊ちゃん/伝』(友文堂書店)というユーモア小説があるのです/が、ほとんど自分の体験談らしいです。ただ、新聞/記者とか文章で身を立てる夢は捨てていなかったの/でしょう。長野で暮らしていた昭和八(一九三三)年/に最初の著書『信州の口碑と伝説』(信濃毎日新聞社信州郷土誌刊行会)を出しています。二十九歳で初め/て著作を発表したことになります。続く昭和九(一九三四)年には、『信州百物語 信濃怪奇伝説集』(信州郷土誌刊行会)を出しています。
『信州の口碑と伝説』は、いわゆる郷土史の本です/ね。序文によると、下宿先のおばあさんからいろい/ろ昔話を聞いて、それを学校の生徒たちに話した/ら、みんな「そんな話、知らない」という。「そこ/で私は、生徒達の為めに、是非、亡びようとしてい/る彼等の郷土の伝説を、一本に取り纏めてやり度い/念願を持つに至り、爾来、図書館に諸書を渉猟し古/老識学の士に糺して、書きためた原稿」を本にした/とあります。‥‥

と、要領よく纏められている。勤務先については438頁上段18~19行めに「長野県長野市の長野商業学校/(現・長野県長野商業高等学校」と見えていた。この学校は今も当時と同じ場所にあるようだ。(以下続稿)

*1:ルビ「すぎむらあきらくん・さん・しか・ほんけん・らいじゆう・しんしう・きやう/どしよくゆた・み わく・ひとり・せんもん・こくぶん/がく・うへ・かつ・せいらい・しゆみ・ひ ごろしなの・こうひ でんせつとう・けんきう/すゝ・こんくわいそれら・まと。かん・だい・しんしう・こうひ・でん/せつ・さつし・じやうし・ないよう・しんしうかくぐん・のこ・こうひ でん」。

*2:ルビ「せつるゐ・よ しゆ・しゆうせい・どうかうどくしよし・わか・い・こん/にち・で・どうしよ・しゆつげん・おほかた・き たい・さいゐ/どうりやう・よしみ・こ・まゝ・いちげんじよ・か・し だい」。

*3:ルビ「せうわ・ねん・あき・とうきやう・うつ・す・ものすご/さ・ざ・ちやうてつ。ほしぞら・なが・えり・たゞ・た/いつしゆすうかう・き も・と・き おく」。

*4:ルビ「ころ・はなしず・やど・らうふ・ながの し ふ きん・きやうみ・でんせつ/おふ・き・あさひ やま・だいじや・はなし・よしだまち/こうばふい てう・はなし・たんご・せつく・あさ・かつらやま・ひるが・い・あかはた/」。

*5:ルビ「わたし・そ ぼ・はなし・えうじ・い つ・い つ・らうふ/むさぼ・き・よくじつ・はたら・がくかう・けうしつ・せいと たち・き/いぐわい・かえら・なか・まつた・し・もの/い らい・かへ・た こくもの・じ ぶんたち・きやうど・でんせつ・く/せ が」。

*6:ルビ「わたし・せいと たち・ぜ ひ・ほろ・かれら・きやうど/でんせつ・いつぽん・まと・た・ねんぐわん・いた・じ らい・と しよくわん/しよしよ・せうれう・こ らうしきがく・し・ただ・か・げんかう・いまやうや・きやうてい/あふ」。