瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(102)

・青木純二『山の傳説』(5)
 昨日の続きで、最後。
 昨日引用した箇所は特に書き替えが少なかったが、ここもやはり若干手を入れている程度である。

 家に歸つた主人は子供に向つて云つた。*1
『あの男は怖ろしい人殺しをしたやつだったが、俺不思議でならない。人殺しときけば俺も怖ろし/くなるがお前は、何も知らないのにあいつが怖ろしいといつた。どうして怖ろしい男だと分つた/んだい。』*2
 子供はまだ唇を紫色にしてふるえてゐた。*3
『父ちやんは見なかつたかい。』*4
『何を。』*5
『怖ろしいものを。』*6
『何も見やあしなかつた。』*7
『父ちゃん。あの人がすわつてゐただらう、あの時にさ。』*8
『何かあつたかい。』*9【109】
『背中にだよ、あの人の背中に、血みどろになつた髪を振亂した若い女の人が、怖ろしい顔をし/ておんぶしてゐたよ。』*10
『えつ。』
 主人は總身に水でもぶつかけられたやうに怖えた。*11
『そしてね、あの人が出て行つただらう、その時にさ、おんぶしてゐた若い女が、背中からはな/れてあの人の後からふわふわと歩いてついて行つたよ。そして、家の戸口まで行つた時、父ちや/ん、俺の顔を見て、ニタニタと笑つたんだよ。』*12
 主人は眞青になつて子供に抱きついた。*13【K】
 痴情ゆえに女を殺した彼は糸魚川警察署でおびえながらいつた。『惡い事は出來ません、女を殺/して逃げ出すとたつた今殺した女が血みどろの姿そのまゝで私の背に縋りついてゐるんです。/逃げても逃げてもはなれないんです。冷たい手で私の襟首をぐいぐいしめつけます。ですから、/こんな怖ろしい目にあふのなら死刑になつた方がましだとさへ思ひました。捕まつてから女の幽*14【110】靈は私の背中からはなれてしまひました。でも、今でも、冷たい手が私の咽喉に蛇のやうに卷き/ついてゐるやうな氣がしてなりません。』*15
 涙が、頰を傳ふと、留置場の床にほとほとこぼれてゆくのであつた。*16【L】


 【K】子供の怯えたもの2018年8月12日付(31)に引いた。一九六頁16行め「俺不思議でならない。」17行め「といった。お前、どうして」、一九七頁5行め「怖ろしいものを。」、9行め「血みどろになつた髪を」、11行め「えッ!」、14~15行め「父ちゃ/ん、俺の顔を見て、」ここは「父ちゃんと俺の顔」ではなく「俺の顔」を見たのだと「父ちゃん」に呼び掛けたと云う改変で、確かにその方が理に適っているようである。
 【L】男の述懐2018年8月13日付(32)に引いた。異同は110頁9行め、述懐の台詞が段落分けせずに、再現出来なかったが二重鉤括弧開きを半角にして詰めていることだが、台詞の終り、111頁2行めには十分余裕があるので、何故窮屈に詰めたのかが分からない。なお111頁10行め「逃げ出すと。たつた今」の句点は誤植であろう。(以下続稿)

*1:ルビ「いえ・かへ・しゆじん・こ ども・むか・い」。

*2:ルビ「をとこ・おそ・ひとごろ・おれ・ふ し ぎ・ひとごろ・おれ・おそ/まへ・なに・し・おそ・おそ・をとこ・わか/」。

*3:ルビ「こ ども・くちびる・むらさきいろ」。

*4:ルビ「とう・み」。

*5:ルビ「なに」。

*6:ルビ「おそ」。

*7:ルビ「なに・み」。

*8:ルビ「とう・ひと・とき」。

*9:ルビ「なに」。

*10:ルビ「せ なか・ひと・せ なか・ち・かみ・ふりみだ・わか・をんな・ひと・おそ・かほ/」。

*11:ルビ「しゆじん・そうみ・みづ・おび」。

*12:ルビ「ひと・で・い・とき・わか・をんな・せ なか/ひと・うしろ・ある・い・いへ・と ぐち・い・とき・とう/おれ・かほ・み・わら」。

*13:ルビ「しゆじん・まつさを・こ ども・だ」。

*14:ルビ「ちじやう・をんな・ころ・かれ・いとい がはけいさつしよ・わる・こと・で き・をんな・ころ/に・だ・いまころ・をんな・ち・すがた・わたし・せな・すが/に・に・つめ・て・わたし・ゑりくび/おそ・め・し けい・はう・おも・つか・をんな・いう」。

*15:ルビ「れい・わたし・せ なか・いま・つめ・て・わたし・の ど・へび・ま/き」。

*16:ルビ「なみだ・ほゝ・つた・りうちぢやう・ゆか」。