瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

丸山昭『まんがのカンヅメ』(11)

小学館文庫『トキワ荘実録』(5)写真③
 一昨日から文庫版に増補された写真を確認しているが、最後に単行本刊行後に行われた会合に於ける写真を見て置こう。
・平成7年(1995)4月 手塚悦子さんを励ます会
・150頁、横長の写真で下に横組みで「1995年、手塚悦子さんを励ます会での石ノ森氏、筆者、赤塚氏。」とキャプション。背後に写っている舞台にはテーブルクロスの掛かった演台があって花束が載っている。舞台の上に掲げられている白のボードには明朝体横書きで2行「故・手塚治虫先生/手 塚 悦 子 さ 」とのレタリングが見えるが、その右が切れている。右下にカメラの日付入れ機能による日付が入っているがこれも「'95 4」までで右が切れている。
・平成10年(1998)1月 少女クラブ同窓会
・194頁、左を上に横転した横長の集合写真で24人が写っている。、下(小口側)に、

1998年1月28日「少女クラブ」同窓会の記念写真。左前列左から水野英子上田トシコ、中列/横山孝雄、一人おいて北島洋子、むれあきこ、赤塚不二夫、後列サングラスが藤子不二雄Ⓐ、/その右側よこたとくおちばてつやの各氏。右前列左から筆者、右は細川智栄子氏、筆者の/後ろは高橋真琴氏。

とのキャプション。
・200頁、テーブルの上に置かれた紙を俯瞰で撮した写真で、左を上に横転した横長、下(小口側)に「1998年1月28日「少女クラブ」同窓会の出席漫画家たちの寄せ書き。」とキャプション。当日会場で撮影したものらしい。中央上部に手書きで「'98.1.28/少女クラブ同窓会」とあり、左上から、ちばてつや、横山孝雄、水野英子、北島洋子、高橋真琴藤子不二雄Ⓐ、むれあきこ、細川智栄子、よこたとくお上田トシコ、判読不能牧美也子、右下に赤塚不二夫。判読不能の分は、絵が何かキャラクターを描いたものでない上にピントが合っておらず、署名も読めない、さらに194頁のキャプションに他に寄せ書きをしている人の名は出尽くしているのでお手上げである。いやキャプションにはもう1人「筆者」丸山氏が挙がっているが「丸山昭」とも読めそうにない。
・212頁、これは写真ではないがこの日の記念品であるのでついでに挙げて置く。左を上にした横長でキャプションは下(小口側)に、

「少女クラブ」同窓会のとき、石ノ森・赤塚・水野三氏が筆者に/贈呈してくれた記念のたて。石ノ森氏はこれが絶筆であった。

とある。この会のことは213〜224頁「それから」の217頁12行め〜219頁13行め「運命の日」の節に記述があり、特に楯については218頁10行め〜219頁6行めに(前後を1行ずつ空けて)記述されている。日付が219頁4行め「一九九八・一・二八」になっているが現物は横組みで「1998・1・28」である。「運命の日」とは何の事かという説明は、次の節(219頁14行め〜221頁12行め)になされている。冒頭部、220頁2行めまでを抜いて置く。

石ノ森さんまでが……*1
 ところが、話はまだ終わらなかったのです。この会も果てて深夜家に帰ると、ある/マスコミからとんでもない電話が入りました。
「石ノ森先生が亡くなったという情報があるんですが、ご存じでしょうか」


 つまり、220頁9〜10行め、たてには石ノ森氏の「命日の日付が刻/んであり、それが文字どおり石ノ森さんの絶筆になってしまったのです。‥‥」
 文庫版カバーの写真については2015年8月14日付(2)にキャプションを引用した。(以下続稿)

*1:手塚治虫(及び藤子・F・不二雄)に続いて、という意味である。