瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(43)

・かたくら書店新書45『浜街道 「絹の道」のはなし』(2)
 昨日の続きで、内容を眺めて置こう。
 1頁(頁付なし)中央上部にゴシック体太字で「第1部 調べてみよう「浜街道」とある扉。
 章の題はやや大きく1字下げ4行取り、図版は大体下に明朝体横組みでキャプションを添える。そうでない場合は註記した。また、見開きでキャプションが頁を移る箇所は「|」で示した。
「0 さまざまな道」2~6頁4行め
 ・3頁上「林のなかを行く古い道」横長写真
 ・3頁下「新しくできた街並みと切り開かれた丘」横長写真
「1 「絹の道」と「浜街道」」6頁5行め~13頁1行め
 ・9頁左上「鑓水峠の「絹の道」碑」縦長写真
 ・10頁右上「鑓水の地図に残る浜街道・/浜道の地名」
 ・11頁左上「鑓水で今も使われてい/る「浜街道」の呼び名」縦長写真
「2 鎖国から開国へ 横浜の開港」13頁2行め~20頁4行め
 ・14頁左上「黒船〔「武州潮田遠景」より。まわりの小/舟は幕府側の船で、黒船とくらべるとそ/の大きさがよくわかる。1854年,ペリー/艦隊が2度目に来航した時のものという/(週刊朝日百科『日本の歴史』93号「開国」より)〕」
 ・17頁「1859年に開港した3つの港(神奈川は,横浜のこと)」日本地図
「3 横浜での生糸貿易の始まり」20頁5行め~27頁5行め
 ・24頁「東山養蚕地帯と横浜・八王子の位置」地図
 ・26頁右上「開港後の貿易における横浜の比率と/輸出にしめる生糸の割合/(古島敏雄著『日本農業技術史』より)」表、キャプション上・中央揃え
「4 「浜街道――八王子と横浜をむすんだ道」27頁6行め~34頁1行め
「5 鑓水商人のこと」34頁2行め~42頁2行め
「6 浜街道の道筋を調べる」42頁3行め~53頁12行め
 ・47~46頁「〔地図〕〔1〕① 20万分の1地図:1888年明治21年〕|作成(左頁左上の枠内は,第2部の地図〔1〕①の範囲)」
 ・49~48頁「〔地図〕〔1〕② 20万分の1地図:1998年〔平成10年〕|発行(左頁左上の枠内は,第2部の地図〔1〕②の範囲)」
「7 浜街道あちこち」54~67頁7行め
 ① 甲州街道から浜街道 54頁7行め~55頁9行め
 ② 片倉城 55頁10行め~58頁8行め
 ・57~56頁「八王子宿全景(『新編武蔵|国風土記稿』文政5年(1822)より)」
 ③ 田端環状積み石遺構 58頁9行め~59頁13行め
 ・59頁上「田端環状積み石遺構」横長写真
 ④ 町田市の木曽町あたり 60頁1~12行め
 ⑤ 町田駅前の「絹乃道」碑 61頁1行め~62頁2行め
 ・61頁左上「町田駅前の「絹乃道」碑」縦長写真
 ⑥ 横浜線を渡るところ 62頁3行め~63頁2行め
 ⑦ 長津田辻と高尾山 63頁3行め~64頁3行め
 ⑧ 帷子川の谷*1 64頁4行め~65頁3行め
 ⑨ 横浜道 65頁4行め~66頁6行め
 ・66頁右上「現在の横浜道/正面にランドマークタワーが見える」方形写真・中央揃え
 ⑩ 関内*2 66頁7行め~67頁7行め
「8 浜街道を行き交った人々」67頁8行め~80頁1行め
 ・73~72頁「横浜周辺外国人遊歩区域図(部分)」
 ・76頁右上「原町田 (横浜開港資料館,(財)横浜開港資料 /普及協会編『F.ベアト幕末日本写真集』1987年)
 ・77頁右上「鑓水から八王子ヘ向かう道(同)
「9 さまざまな生糸の道」80頁2行め~89頁2行め
 ・81頁「横浜をめざす さまざまな生糸の道」地図
「10 浜街道の盛衰」89頁3行め~97頁6行め
 ・93頁「1876年(明治9年)の神奈川県全域図/(「多摩百年史編さんニュース:No.1 より)*3
 以上第1部は浜街道全体の説明となっている。(以下続稿)

*1:ルビ「かたびらかわ」。

*2:ルビ「かんない」。

*3:鉤括弧閉じがないのはママ。