瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

今井正監督『ここに泉あり』(04)

 昨日の続きで室井摩耶子『わがままだって、いいじゃない。』とその文庫版『96歳のピアニスト』に見える、本作出演に関する記述を見て置こう。単行本98〜99頁、文庫版92〜93頁、文庫版は本文が92頁に収まって、93頁は上部は余白で下部に、着飾って YAMAHA のグランドピアノを弾く室井氏の向こうに左手を下ろして指揮する山田耕筰の写真(5.1×8.0cm)、単行本は99頁下部に同じ写真(6.2×9.6cm)で上部に本文、「/」で示した98頁の本文の改行位置は文庫版に同じ、99頁の改行位置は「|」で示した(文庫版の該当部の改行位置を「/」で示す)。

 たった一度だけ、役をいただいて映画に出たこともあるのですよ。
 昭和30(1955)年に公開された今井正監督の『ここに泉あり』。
 終戦直後の高崎市民オーケストラが、奮闘をしながら群馬交響楽団へと成長してい/く実話を描いた映画です。
 このなかで岸惠子さん演じる市民オーケストラのピアニストが、東京から来た人気/ピアニストの演奏を聴いて、あまりの実力の差に落胆するというシーンがあるのです【98】が、この人気ピアニスト役を実名|で演じさせて頂いたのです。
 まあ、演じたといっても台詞*1が|あるわけでもなく、「ピアノを弾|いてください」と/いわれたので、|「はい」といって弾いただけで、|演技をしたわけではないのですけ|れ/どね。
 映画に名前と顔が出たのはこの|ときだけ。
 こういう経験をしたのも若かり|しころの楽しい思い出です。
 そして、この翌年、私はいよい|よ日本を離れることになります。


 この件については、92歳の誕生日の直前に刊行された単行本から、96歳の誕生日の直前に刊行された文庫版までの4年間の変化などにも関わらないので、本文には異同がない。
 写真の下、左寄りにキャプション2行、これは単行本と文庫版で全く同じ大きさのゴシック体横組みで、

映画『ここに泉あり』に出演したときの1シーン。
チャイコフスキーのコンツェルトを弾きました。

とある。
 記載内容についてだが、特に「人気ピアニストが来」ると云うことにはなっていない。但し、派手なドレス姿と、山田氏との共演、そしてかなり時間を取って映される華麗な演奏が、室井氏が若手ながら実力のあるピアニストと云う役であることを、言葉による説明なしに納得させる作りになっている。「あまりの実力の差」と云うのは、岸氏の演じた役には一寸可哀想な表現で、岸氏の演じた「かの子」も東京にいた頃には実力を認められていたのだが、高崎に来て市民フィルハーモニーで練習も碌に出来ないでいるうちに腕が落ち、さらにコンサートマスターでヴァイオリン奏者の速水(岡田英次)と結婚して妊娠してしまったこと(これが当初、かの子が弾く予定だったピアノを室井氏に依頼した理由)で、室井氏と実力差がさらに開くであろうことを予感した岸氏の、(白黒映画だけれども)青ざめた表情で室井氏の演奏を見詰めつつ立ち尽くす様子が度々映し出されるのである。――もちろん、間違いではないし、この本の書き振りからすれば、これ以上細かく記述するのは不自然である。
 この、かの子が東京から来たピアニストとの差に打ちのめされる場面であるが、水木氏の脚本ではもっとしつこく記述されている。完成した映画では室井氏が述べる通りピアニストは演奏するだけなのだけれども、脚本ではそれ以外の場面もあり、台詞もあったのである*2。(以下続稿)

*1:ルビ「せりふ」。

*2:6月21日追記】脚本には「59  楽 屋」のシーンがあったが、台詞があったと思ったのは記憶違いだったので「あり、台詞も」を削除。