瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

今井正監督『ここに泉あり』(09)

・日本シナリオ文学全集・9『水木洋子集』(6)
 昨日引いた、映画で写される合同演奏会のポスターに示されているのはリスト「交響詩前奏曲」」とチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」そしてモーツァルト交響曲」第40番の3曲で、脚本の当該箇所「54  講堂の前通り」には指定されていないが、脚本の続きに3曲が指定されており、うちモーツァルトを除く2曲は同じである。
 その、合同演奏会の曲目だが、脚本では2曲、演奏することになっていたようである。――「ようである」と曖昧に書いたのは、どうも脚本に混乱があるらしいからである。映画で実際に演奏される曲は、ピアノの演奏があるチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」のみである。、
 この辺りの脚本と映画の異同について、少々細かく確認して見よう。
 創設メンバーながら、1年前に東京から招かれてコンサートマスターになった速水明(岡田英次)によって排除されたアマチュアたちが、晴れやかなマネージャーの井田亀夫(小林桂樹)と会話を交わす「55  講堂の廊下」はそのまま映像化されている。しかし映画では続いて会場内が俯瞰で写され、直ちに「ピアノ協奏曲第1番」の演奏が始まるのだが、脚本ではそうなっていないのである。198頁下段22行め〜199頁下段3行め、――開演準備、そして開演の場面もあった。

56  楽屋の廊下
   部屋で調律する大勢――壮観である。【198下】
   速水が廊下にはみだしている新入りの巖(チェロ)
   と倉(クラリネット)の傍にくる。
速水「じゃ、大丈夫だね」
二人「ええ」
 
57  講 堂
   客席拍手――
   開幕――舞台に居並ぶオーケストラメンバー。
   山田氏出場。
   袖に佇む亀夫と幸二。
幸二「こっちのメンバー、どこに?」
亀夫「服装*1みりゃわかる」
 
58  舞 台
   指揮台に立つ山田氏。
   静寂の一瞬――演奏始まる。
   オーケストラメンバーの中に散在する、速水、工
   藤たち――巖と倉を加えた八人だけが、ちくはぐ
   な服装である。あとは全部、東京の楽団員である。
   袖で亀夫と幸二。
幸二「違うな、やっぱり……」
亀夫「幅が出るねえ、音を引き出して貰えるから……」
幸二「こっちはかすむなあ……」
亀夫「量より質が、かんじんだよ。山田さんもそう言っ【199上】
 てた」
幸二「だけど、ポン子さんは急にコンチェルト中止しち
 ゃって、駄目だな、女は結婚すると……」
 


 幸二もやはり速水の方針によって排除された少年店員である。これら、排除された者たち――「55」に登場するアマチュアの元団員の面々が最後まで登場して、東京管弦楽団との2度めの合同演奏会の折、客席で往時の苦労を回想して感慨に耽ると云うラストになっているのも巧いと思う。「ポン子」と云うのは佐川かの子(岸惠子)の渾名だが、由来は分からない。合同演奏会まで「一年」の間に速水明と結婚して今は速水かの子になっている。
 続きは次回見ることにするが、脚本では楽観的な井田亀夫と違って、市民フイルハーモニーの面々も幸二と同様に、いや、当事者としてそれ以上に東京管弦楽団の団員たちとの実力差を痛感し、打ちのめされると云う描写があるが、映画では室井摩耶子演ずるチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」にショックを受ける速水かの子に焦点を合わせていて、他のメンバーについては合同演奏会後に脱退者が出るなど、せいぜい合同演奏会が市民フイルハーモニーにとっては却って悪い刺激になったことを示唆するだけとなっているのである。(以下続稿)

*1:ルビ「なり」。