瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

文藝別冊「芥川龍之介」没後九十年 不滅の文豪(3)

松田奈緒子「私の好きな芥川龍之介」(3)
 昨日の続きで答え2の後半、3頁下段11~18行め、

 随筆なども読むうちに、芥川が学生時代に千駄木の鴎/外の旧居・観潮楼の前を通っていたということを知って、/自分もそこを通ったことがあると思ったら、急に身近に/感じてしまって。そこから一気にハマり、作品と、作者/である芥川にどんどん興味が湧くようになりました。鴎/外図書館で芥川作品はすべて読みましたし、書簡集など/も読み尽くしました。私が全作読んだことがあるのは、/芥川と中原中也だけです。*1


 4頁下段10~11行め、問5「――先ほど中原中也の名前を挙がりましたが、大正・昭和初期/の作家や作品を好んで読まれていたのですか?」に対する答え5が「松田 それも芥川がきっかけですね。・・・・」となっていて、このインタビューだけでは中原中也にハマったのは芥川以後のように読めてしまうが、昨日触れた「東京新聞」のインタビューに拠ると中原中也は太宰と同時期の高校3年生の頃らしい。太宰の作品はどのくらい読んだのだろうか。
 芥川の学生時代は鴎外の生前だから「旧居」には少々抵抗がある。それはともかく「書簡集なども読み尽くし」たのには、やはり芥川作品を読むきっかけが影響しているようである。すなわち、5頁上段3~4行め、問6、

――作者である芥川自身に興味が湧いたとお話しされていまし/たが、最初はどんなところに関心を持ったのですか?

に対して、5頁上段5~10行め、答え6、

松田 はじめは、『芥川龍之介殺人事件』に書かれてい/ることがどこまで本当のことなのか、確かめたいという/気持ちからですね。それと、写真で見る芥川は気難しげ/で怖そうなイメージだったのですが、ちょっと調べてみ/たら間抜けな一面があることがわかってきて、ラブリー/だなって(笑)

と答えているのである。
 そこでたまたま返却期限が来たので出掛けた某市立中央図書館で『芥川龍之介殺人事件』を借り、ついでに OPAC でヒットした似たような按配の2冊(『芥川龍之介殺人事件』の奥付裏の目録「晩聲社の好評既刊」には「ドンデンがえ史❶」「ドンデンがえ史❷」と云うシリーズ名を冠している)も借りて来た。
・神門酔生/三宅一志 構成『卑弥呼の木像が出た!』一九八七年三月十六日初版第一刷・定価一、三〇〇円・晩聲社・217頁・四六判並製本

卑弥呼の木像が出た!

卑弥呼の木像が出た!

・神門酔生/三宅一志 構成『忠臣蔵なんてなかった』核時代四四年(一九八九年)一月一〇日初版第一刷・定価一三〇〇円・晩聲社・174頁・四六判並製本
忠臣蔵なんてなかった

忠臣蔵なんてなかった

 このような本、若い頃の私だったら、一応読んでから、と思ったのだが、ちょっと受付けなくなって来た。
 私が学部生の頃、だから、松田氏が芥川龍之介にハマっていたのと同じ頃、やや遅れるかも知れないが、文藝サークルの友人が『東日流外三郡誌』にハマって、「アラハバキ」をテーマにしたエッセイを書いて、サークルの同人誌に投稿すると云うので、その草稿を読んだのである。それまで、私は『東日流外三郡誌』など知らず、友人のエッセイにも詳しい説明はなされていなかったので(そもそも東北に縁がある訳ではない友人は、古代史への興味から『東日流外三郡誌』を知ったらしい)、差当りどんな本なのか知ろうと、図書館で『東日流外三郡誌』に関する本を探して、借りて読んでみた。もう書名も忘れていたが、今、検索するに安本美典 編『東日流外三郡誌偽書」の証明』である。
東日流外三郡誌「偽書」の証明

東日流外三郡誌「偽書」の証明

 『東日流外三郡誌』の活字本(と古文書扱いしたように呼んで良いのかどうか)は大学の図書館にはあったようだが当時私の住んでいた区の図書館にはなかった。賛成派の本があったら友人と同じような考えになっていたかも知れないが、多分ならなかったろうと思う。とにかく『東日流外三郡誌偽書」の証明』収録の諸編を読んで、偽書であるとの説に納得した私は、友人に、こんな本に基づいたエッセイを書いているようでは駄目だ、と、今よりも純情だったので情理を尽くして説明したのである。
 それで引っ込めるかと思いの外、私が特に危ないと指摘した点を幾つか削除して再投稿したのである。まぁ元の文章がそのまま載るよりはマシになったが、しかし偽書に基づいたエッセイであることには変わりないので、やはり載せない方が良かった、と言うと、『東日流外三郡誌』は偽書でも、このような本が現れたのには理由があるのだ、と言い出したのである。私には全く受け容れられない理屈だったので閉口するよりなかったが、――今の私にはとても同じことは出来ない。時間もあったし、何より友人のためだと思って僅か3頁の、他の連中は特に感想を述べるようなこともなかったエッセイ*2のために、本を1冊精読出来たのである。(以下続稿)

*1:ルビ「かんちようろう」。

*2:友人は『東日流外三郡誌』の活字本を読み込むほどにはハマっていなかったと思う。解説本の類は当然読んでいたであろう。