瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

文藝別冊「芥川龍之介」没後九十年 不滅の文豪(2)

松田奈緒子「私の好きな芥川龍之介」(2)
 昨日の引用では、松田氏は文学少女ではなかったように読めてしまうが、実はそんなことはないので、答え1の続き、11~14行め

・・・・。特に興味を持ったというわけではなかった/ですね。高校時代は太宰治の小説をよく読んでいまして、/太宰が芥川ファンなのを知ったときは「そんなに芥川っ/ていいかな」と首を傾げていました。


とあり、太宰については最近の「東京新聞」のインタビューにも言及がある。2019年10月13日付朝刊「家族のこと話そう」と云う連載で、東京新聞(TOKYO Web)に、まづ「【暮らし】<家族のこと話そう>父の一生「小五男子」 漫画家・松田奈緒子さん」として当日に公開され、10月15日には「子育て世代がつながる 東京すくすく」の「漫画家 松田奈緒子さん 小5男子のまんまだった父 葬儀で友人たちが…」に転載されている。聞き手は北村麻紀。同文のようだが後者は3節に分かれてそれぞれ見出しが附されている。その、2節めの最後に、

 漫画家になるため、高校はデザイン科を志望したのに不合格。「未来をふさがれた」と絶望した頃は、太宰治中原中也に共鳴、「どう生きるか」と悩んでいました。


とあって、高校の3年生の頃には、太宰治中原中也のような、苦悩をはっきり現すタイプが、自分に寄り添っているようで好みであったようだ。太宰の小説は、世代的に中学のときに「走れメロス」、そして高校2年生で「富岳百景」と云う接し方であったろうか。そして太宰を読み込んだときに芥川を「羅生門」のイメージで振り返っても、確かに傍観者の位置から突き放しているような按配で書かれているから、受付けなかったろうと思うのである。
 私は2013年8月31日付「太宰治『走れメロス』の文庫本(09)」に述べたように、中学か高校の早い時期に、岩波文庫31-090-1『富嶽百景走れメロス 他八篇の1冊だけを読んでいた。大して苦悩していなかった私は、教養として一応、触れて置く、くらいのつもりで、これ以上読もうとは思わなかったのであった。
 問2は、当然、そんな松田氏が「芥川作品を読むようになったきっかけ」について尋ねているが、その答えが、なかなか意表を突いている。答え2の前半、3頁上段16行め~下段10行め、

松田 二〇歳すぎくらいのときに、友人が『芥川龍之介/殺人事件』(神門酔生著、三宅一志構成、晩聲社という本の*1【3上】装画を担当したんです。芥川龍之介は自殺ではなく、誰/かに殺されたのではないかという仮説をもとに事実を探/っていく作品なのですが、そこに書かれている芥川の素/顔がどこまで史実を織り交ぜているのか、それまで芥川/作品をあまり読んだこともなかったので、まったく見当/がつかなかったんですね。それで、時間だけはありあま/っていた頃でしたので調べてみようと思って。当時谷中/に住んでいたのですが、家の近くの鴎外記念本郷図書館(現在、森鴎外記念館と本郷図書館に分離)に通って片っ端か/ら芥川の作品を読むようになりました。*2


・神門酔生/三宅一志 構成『芥川龍之介殺人事件』核時代四六年(一九九一年)三月二〇日初版第一刷・定価一、五〇〇円・晩聲社・195頁・四六判並製本
 Amazon では取り扱っていないらしい。なお、文藝別冊の註記では「神門酔生著」となっているが、奥付を見るに神門氏は「話者」となっている。神門氏(本名神門努、1916生)の与太話(?)を、三宅一志(1947.3生)が「構成」した訳である。そして奥付にはこの2人に続いて「カバー装画―――唐草びつき」とある。
 さて、この辺りのことは、前記「東京新聞」のインタビュー、先に引いた箇所に続く3節めの頭に、

 高校を卒業後、就職のため上京。漫画家のアシスタントになるための独立費用を稼ぎ、1年8カ月で辞めました。

とあって、以後1996年に「ファンタスティックデイズ」でデビューするまで、アシスタントを務めながら割に時間には余裕のある生活をして、言わば漫画家としての養分を蓄積していたらしい。――松田氏は昭和44年(1969)1月生なので高校卒業は昭和62年(1987)3月、そして上京して4月から働き始めたとして、昭和63年(1988)の丁度今頃、仕事を辞めた勘定になる。その2年余り後に『芥川龍之介殺人事件』との出会いがあった訳である。(以下続稿)

*1:ルビ「ごうど すいせい」。

*2:ルビ「や なか」。