瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

安岡章太郞 編『ウィタ・フンニョアリス』(1)

・単行本(昭和五十五年十二月十六日 第一刷発行・定 価 一二〇〇円・講談社・265頁・四六判上製本

・文春文庫『滑稽糞尿譚 ウィタ・フンニョアリス1995年2月10日 第1刷・定価437円・文藝春秋・286頁 以下、引用に際して改行箇所は単行本「/」文庫版「|」で示した。
 内容については文庫版のカバー裏表紙右上の紹介文(横組み)に、

太古の昔から誰一人として日々欠|かすことのなかった玄妙なセレモ|ニー。この粛々たる習いを通して|面白おかしくも謹厳に人生の滋味|を探りつつ、本書はその深奥をも|垣間見る。現在活躍中の諸氏をは|じめ、芥川龍之介谷崎潤一郎、|風来山人からラブレー、バルザッ|クに至るまで、古今東西の名品傑|作が集結した壮大なアンソロジー

とある。
 文庫版284~286頁「文庫版のあとがき」の冒頭、284頁2~5行めに、

 ここに収められたものは、すべて排泄や排泄物にまつわる話である。この原本は『ウ|ィタ・フンニョアリス』(昭和五十五年十二月、講談社刊)であるが、文庫版は書名を『滑|稽糞尿譚』とし、収録作品から志賀直哉『朝昼晩』を割愛した他、あとがきに少し手を|入れたが、それ以外は原本のままである。

とあるが、単行本には、263~265頁「あとがき」の末尾、265頁1~3行め、

 おわりに、この本の表題は拙文『わが糞尿譚』のなかに、森鷗外の『ヰタ・セクスア|リス』を/もじって、『ヰタ・フンニョアリス』という言葉が使ってあったのを、講談社|出版部の徳島高義/氏が取り上げて(仮名づかいを改めて)、つけてくれたものだ。

くらいしか、本の由来などに関する記述がなかった。文庫版281~283頁「あ と が き」の283頁5~7行め。
 「あとがきに少し手を入れた」と云うのは、火野葦平「糞尿譚」の頃の東京を回想した次の箇所、単行本264頁3~16行めで、

 しかし、憶い出すと汲み取り業は、たしかに東京でもシナ事変の半ば頃から近代化*1さ|れてお/り、昔のように近在の百姓がてんでに肥桶をかついで取りにきて、帰りに「こや|し代」として、/ネギだの、大根だのを置いて行くということはなくなった。それに代っ|てあらわれたものは、市/の清掃局員というような役人であって(そのほとんどは朝鮮系の人たちであったが)、作業がお/こなわれると|きは、労賃として「糞尿汲取券」なるものを隣組をつうじて予め購入しておき、そ/れを|清掃労働の役人に渡さなければならないことになった。つまり、汲み取る側と汲み取ら|れる/側との経済的立場は、以前とは逆になったわけだ。
 このちょっとした経済的変動には、見かけ以上に重要な意味がある。われわれの糞尿|が農民の/貴重な肥料から単なる汚物になり下ったということは、汚物を扱う身分の労働者というものを新/たに|生み出すことになったのだ。当然、清掃局の役人たちは、清掃作業に従事するたびに、*2|事実/上の身分差別を感じずにはいられなかったであろう。彼等が汲み取り作業を了えるたび|に、
「キップ、キップ、一荷四分の一!」【282】
 と、台所の戸をはげしく叩いてイラ立たしげなドナリ声を上げていたのを、私は昨日|のことの/ように覚えている。

となっている、灰色太字にした字句を文庫版282頁5行め~283頁2行めでは削除していることである。(以下続稿)

*1:「近代化」に傍点「ヽ」。

*2:文庫版はこの読点半角。