瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(299)

田辺聖子の赤マント(1)
 田辺聖子『私の大阪八景』に、赤マント流言が取り上げられていることは、2019年7月3日付(191)及び2019年7月4日付(192)に当該箇所を引用して、その前後に『田辺写真館が見た ”昭和” 』なども参照しつつ、モデルとなった田辺氏の通っていた学校や担任教師について考証して置きました。
 しかしながら、田辺氏が小説に赤マント流言を取り上げていることは(当ブログの他に)ネット上では全くヒットしないのです。子供時代に一時的に騒動になる、ごく当り前な出来事ぐらいに思われていたからでしょうか。しかしながらそうではなくて、大阪の赤マント流言は田辺氏が小学6年生だった昭和14年(1939)7月上旬に、2月下旬の東京と同じく新聞やラジオでも取り上げられるほどの騒動になっていた、時期がかなり絞られる《事件》だったのでした。
 論文で赤マント流言に注意したものがあるのかどうか、しかし東京の赤マント流言でさえ実態が曖昧なまま済まされていたのですから、大阪の赤マント流言についてはさらに曖昧模糊とされていて、手懸りがないと云うことで研究者からは触れずに置かれたもののようです。
 と、こんなことを書いていて、既に文献があったりするのが世の常なのですが、これまでに私が気付いたのは次の1点のみです。
・「ユリイカ」7月号  第42巻第8号(通巻583号)2010年7月1日発行・定価1,238円・青土社・229頁・A5判

 49~212頁が「特集*田辺聖子」。
 71~79頁、千野帽子田辺聖子と少女文化の回想/『私の大阪八景』『欲しがりません勝つまでは』『しんこ細工の猿や雉』」副題はゴシック体で二重鉤括弧は半角。書き出し、71頁上段1~6行めは以下の通り。

 作家のデビュー前・修業時代・ブレイク前の回想記や自伝風味/のフィクションには、おもしろいものが多い。それがどれくらい/正確か、つまり実人生に忠実であるか、にはほとんど興味がない。/無名時代の作家の苦闘と読書遍歴、あるいは先輩作家や同輩たち/との交流をつうじて、その時代の雰囲気が立ち上がってくるのが/楽しくて、何冊も読んでしまう。


 私は確認が好い加減であったり物によって記述に矛盾があったりするのは嫌なのだ。本当らしく嘘を書かれた先輩作家や同輩たちは迷惑だろうし(先輩作家には、まぁ宥恕を願うとしても)、確認作業を良うしない不注意な研究者によって事実扱いされかねないからである。
 それはともかくとして、千野氏は14人の作家や漫画家のそう云った作品を列挙して、72頁上段13~15行め、

 田辺聖子にもいくつかそういう作品がある。なかでも、終戦直/後までを描く初期作品『私の大阪八景』(一九六五、のち岩波現代文庫)は、六〇年代前半に書かれた五篇からなる連作長篇だ。


 そして2行取り5字下げ「*」で少し空けて、72頁上段17行め~下段7行め、

 私は二〇〇六年に、『私の大阪八景』を《東京新聞》連載『文/藝ガーリッシュ お嬢さんの第二の本箱。』のある回で取り上げ/た。昨年上梓した単行本版『文藝ガーリッシュ』の二冊目『世界/小娘文學全集』(河出書房新社)は「舶来篇」としたため、田辺聖/子について書いた回も、吉田健一小杉天外池田澄子・河野多/【上段】恵子・宇野千代江戸川乱歩西條八十・井筒豊子・橋本治・鈴/木三重吉・宮原昭夫の回とともに未収録のままである。
東京新聞》で私はつぎのように書いた。


 この連載は未だに本になっていないようです。

文藝ガーリッシュ    素敵な本に選ばれたくて。

文藝ガーリッシュ 素敵な本に選ばれたくて。

  • 作者:千野 帽子
  • 発売日: 2006/10/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
世界小娘文學全集----文藝ガーリッシュ 舶来篇

世界小娘文學全集----文藝ガーリッシュ 舶来篇

 前後1行分ずつ空けて、1字下げで72頁下段4行め~73頁上段16行めがその引用です。冒頭部分を抜いて置きましょう。72頁下段7行めまで。

 トキコは冒険物語が大好きな六年生。授業中に「きょうふの/赤マント !! 」という文章(当時一世を風靡した都市伝説の主人公・赤マントが敵軍のスパイだったという説)を書いているの/を見つかり、先生に怒られたりしている。‥‥


 新聞に載ったのですからそれなりに人目に触れたはずですが、田辺氏の赤マント体験は、その後も何故か取り上げられずに来ております。
 ところで、千野氏は2019年3月4日に Twitter で赤マント流言に触れております。


 これは『私の大阪八景』に拠る知識なのかと思ったのですが、どうもそうではないらしいのです。(以下続稿)