瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平成厠研究会 編『トイレでホッ!』(1)

・『トイレでホッ一九九二年九月一〇日初版第一刷発行©・定価1,262円・TOTO出版・211頁・四六判並製本
 版元の紹介ページには「3刷」とあるが、「定価=本体1,262円+税」と消費税3%のままの定価が示されているので、平成9年(1997)3月までの増刷であろう。「!」は原本では全て斜体。
 カバーは白地で、表紙の右上にゴシック体縦組みで大きく「トイレホッ」その左脇上に「平成厠研究会編」感嘆符の左脇から「TOTO出版」と、アルファベットはTOTOのロゴ文字で入っている。上部に洋式トイレにズボンをずらして座って、赤い背凭れ(頂部に禁煙マークを印刷した白布)から足置きまで、ゆったりと寝そべった人物が、イヤホンを付け表紙に「mystery」とある本を読んでいる。脇に小型のモニタ。灰色のスリッパに黄色の靴下の足の下に手書きで「1 9 9 2/TAKUN FURUKAWA」と2行、間を手書きのアバウトな波線で仕切る。
 カバー背表紙、上部にカバー表紙と同じ標題を縮小して収め、中央やや下に「平成厠研究会編」、私の見た本の下部は分類票貼付のため見えない。
 カバー裏表紙、最上部にOCR-Bとやや小さいゴシック体で「ISBN4-88706-042-4 C0095 P1300E 定価1,300円(本体1,262円)」とあって、上部中央に橙色でごく薄く、点線が右上から放物線の片割れ風に曲線を描いてほぼ垂直になったところで途切れ、♨の湯気の部分だけが描かれる。すなわち小便なのである。これは7頁の第一章の扉のイラストを縮小して色刷にしたものである。
 カバー表紙折返し上部右側にゴシック体縦組みで、

「なんじらもいまだ知らざるか。すべて口に入るものは腹を通りて便所に落つるをいまだ知らざるか」(マタイ伝十五章)/――とおっしゃったのはイエス・キリスト様。この単純にして明快なメカニズムを、二八編のユーモラスなエッセーで綴る……。

とある。カバー裏表紙折返しには何もない。
 白の模造紙風の見返し(遊紙)があって、1頁(頁付なし)扉は1列に、上部中央に標題、中央やや下に編者、下部に版元を並べる。なお、私の見た本はノドの部分の上部にゴシック体でごく小さく「トイレで ほっ 1折 ■」とあるのが見える(■は縦長)。2~5頁(頁付なし)「目次」。6頁(頁付なし)は下部中央に縦組みで2行「装丁・イラスト/古川タク|装丁協力/緒方 徹」とある(改行箇所「|」)。
 7頁(頁付なし)は章の扉で匡郭(15.2×9.2cm)の右上にゴシック体縦組みでやや大きく「第1章」、左上にゴシック体縦組み「野越え、山越え、旅びとは、幾たび小便することぞ   /        三好達治 」とあり、中央に古川氏のイラスト、これはカバー裏表紙の小便と同じ。扉のレイアウトは以下の章も同じ。
 8頁から本文、まづ太い横線(幅0.1cm強)が6行分(3.3cm)上下に2本(間隔 13.5cm)、間の右上に横長のゴシック体縦組みで大きく題、左上にやや大きく明朝体縦組みで筆者名、筆者名の下に細い横線(0.9cm)がある。本文は1頁16行、1行42字。そして文章の最後に下寄せでやや小さく、底本を示す。
 以下、収録作品を見て置こう。筆者名「作品名」開始頁と最後、(底本情報)の位置、そして(底本情報)を示した。
安岡章太郎「わが糞尿譚」8頁~20頁10行め
  (『ウィタ・フンニョアリス』講談社・一九八〇年)
中村浩・開高健「スカトロ憂国論」21~48頁14行め
  (『悠々として急げ』日本交通公社・一九七七年)
永六輔「厠論議49~60頁9行め
  (『みだらまんだら』文藝春秋・一九七二年)
岩城宏之「「小」と「大」の話」61~65頁16行め
  (『話の詩集』一九八六年九月号)
重兼芳子「女は厠で考える」66~75頁3行め
  (『女房の揺り椅子』講談社・一九八四年)
ねじめ正一「喫茶店の顔はトイレだ!」76~84頁9行め
  (『新ねじめのバカ』集英社・一九九一年)
 85頁(頁付なし)は「第2章」の扉。左上に「ああ、この地獄の苦しみ」とある。
山本夏彦「人生の快事立小便」86~91頁6行め
  (『かいつまんで言う』中央公論社・一九八二年)
入江相政「小便がつまる」92~98頁5行め
  (『城の中』中央公論社・一九七八年)
東海林さだお「一発五リラ」99~103頁2行め
  (『ショージ君のコラムで一杯』文藝春秋・一九八五年)
椎名誠「地獄の路線バス」104~110頁16行め
  (『さらば国分寺書店のオババ』情報センター出版局・一九七九年)
山川静夫「尿 意」111~113頁16行め*1
  (『胸の振子』文藝春秋・一九九一年)
 115頁(頁付なし)は「第3章」の扉。左上に「その分量。現代の日本人は毎日平均一五〇グラム程度を糞出、植物センイの少ない欧米人は一〇〇グラム程度。」とある。
團伊玖磨「西洋便所」116~121頁4行め
  (『パイプのけむり毎日新聞社・一九八〇年)
阿川弘之「海軍糞尿譚」122~127頁3行め
  (『海軍こぼれ話』光文社・一九八五年)
田辺聖子「おべんじょ」128~132頁13行め
  (『女の長風呂Ⅱ』文藝春秋・一九七七年)
向田邦子「香  水」133~138頁13行め
  (『女の人差し指』文藝春秋・一九八二年)
筒井康隆「検  便」139~141頁16行め
  (『狂気の沙汰も金次第』新潮社・一九七六年)
 143頁(頁付なし)は「第4章」の扉。左上に「世界で、事後、紙で拭く人々が、全人口の三分の一、三分の二は,その他の方法で処理している。」とある。
赤瀬川原平「ダイヤカットの便所空間」144~158頁4行め
  (『東京路上探検記』新潮社・一九八六年)
深田祐介「中国トイレ綺譚」159~164頁16行め*2
  (『新東洋事情』文藝春秋・一九八八年)
塩田丸男「人間は拭く動物である」165~168頁6行め
  (『ジョーク雑学百科』新潮社・一九八一年)
清水潔「トイレットペーパー」169~173頁13行め
  (『町に煙突があったころ』毎日新聞社・一九八八年)
 175頁(頁付なし)は「第5章」の扉。左上に「厠、樋殿、閑所、雪隠、*3高野山(山に入って髪<紙>を落とす――)手洗、手水、はばかり、*4御不浄,便所、化粧室、トイレ……――トイレの呼び名
吉行淳之介「追いかけるUNKO」176~178頁10行め
  (『ウィタ・フンニョアリス』講談社・一九八〇年)
村松友視「男と女の立小便」179~181頁6行め
  (『私、小市民の味方です』新潮社・一九八七年)
森繁久彌「トイレ放談」182~185頁4行め
  (『わたしの自由席』中央公論社・一九七九年)
星新一「食事と排泄」186~187頁13行め
  (『気まぐれ博物誌』河出書房新社・一九七一年)
泉麻人「“ウンコ後”の台詞」188~189頁16行め*5
  (『街のオキテ』新潮社・一九八五年)
群ようこ「肛門」190~192頁9行め
  (『肉体百科』扶桑社・一九九〇年)
玉村豊男「銀座水洗都市」193~197頁14行め
  (『週刊朝日』一九九〇年三月三〇日号)
山藤章二セガレが笑う」198~201頁6行め
  (『快食・快眠・快便』文藝春秋・一九九〇年)
 202~208頁は横組みで日商岩井広報室トレードピア編集室「トイレ7ヵ国語」、1頁ずつ日本語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、ロシア語のトイレについて解説、208頁の下に横組みで小さく(日商岩井広報室トレードピア編集室編『雑学七ヵ国語辞典』文藝春秋・1986年)とある。
 安岡氏と吉行氏を『ウィタ・フンニョアリス』から採っているように初出・初刊本まで遡っていない。入江氏・田辺氏・星氏は『ウィタ・フンニョアリス』にも採られていたが初刊本、或いはその文庫版から採っている。
 210~211頁「〈あとがき〉にかえて」。この企画や担当者についての情報は皆無。
 頁付があるのはここまで。次の見開きは「●著者一覧」●は○で囲う、3段組で29人を3~5行で紹介。
 裏は白紙。次に奥付、その裏はトイレ関係の刊行物4点の目録。(以下続稿)

*1:この行まで本文。

*2:この行まで本文。

*3:ルビ「ひどの・かんじよ・せつちん」。

*4:ルビ「ちよう ず」。

*5:ルビ「せ り ふ」。