瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(091)

・石沢清『北アルプス白馬ものがたり』昭和47年12月25日 初版発行・昭和48年4月1日 3版・¥580・信濃路・285+6頁・B6判並製本

 発行所が社団法人信濃路(長野市)で、発売元が社団法人農山漁村文化協会(東京)。
 石沢清(1923~2001.12.28)については、横組みの奥付の上、「石 沢  清(いしざわきよし)」として、

1923年生まれ。武蔵野美校修了・東京芸大に内地留学する。
奥田郁太郎氏に師事し、一水会、日本水彩画会(会友)に出品。
受賞・個展ともに数回
教育技術賞・美術教育賞(信濃毎日・毎日・読売新聞)・朝倉文/夫指導賞を受け、民放共同番組「日本の教育者」にも選ばる。著/書に「白馬のこども」のほか美術教育論文・民話・民俗・小文など。
現住所 長野県大町市六九町 〒398

とある。
 カバー折返しは白地で、私の見た本は2cmほどを残して切除されているが文字のある箇所は残してあるようだ。
 カバー表紙折返し、右下隅にゴシック体縦組みでごく小さく「白馬の大雪溪 森 肇」とある。カバー表紙は全面に大雪渓上を歩行する15人の登山者、その殆どが黄土色のキスリングを背負っている。私の所属していた昭和末の山岳部にもこの横幅のあるキスリングがあった。頂部がガスで霞んでいる。標題は横組みで上部に左詰、まづ濃い灰色の横長のゴシック体でやや大きく「北アルプス」次に赤の明朝体で大きく「白馬ものがたり」、その下に細いゴシック体で「石 沢 清」とある。
 カバー背表紙は白地で「北アルプス白馬ものがたり石沢 清」とあって最初の5文字はやはり横長、そして3字分ほど空けて最下部にやや小さく「社団法人信濃路」。
 カバー裏表紙折返し、左下隅にゴシック体縦組みでごく小さく「白馬の農家 梨子田 真」とある。カバー裏表紙も全面がカラー写真で近くに茅葺屋根の民家が5軒、庭の柿の木には実がたわわに実っている。そして遠くは雪化粧した白馬岳、空は青空。最下部右に白く「社団法人信濃¥580 」とある。
 表紙見返し・裏表紙見返しとも横縞の透かしのある淡い黄緑色の厚紙に、見開きで手書きの、緑色で印刷された地図。図名は左上の子持枠に「長野県北安曇郡白馬村全図」とある。なお用紙の裏面は透かしも見えず平滑である。
 次いでやや青みを帯びた黄緑色のコート紙1葉がある。何も刷られていないが、後の頁付からするとこれが1~2頁と云うことになる。
 3~10頁(頁付なし)アート紙の口絵写真、白黒だが白馬村・白馬岳の春・夏・冬を写している。
 11~13頁(頁付なし)「はじめに」は、13頁7行めに1行空けて3字下げで小さく「一九七二年十一月」付、さらに1行空けて8行めに5字下げで小さく「付―考証その他で「北安曇郷土誌稿」「北安曇郡誌」などのお世話になりました。」とある。本文末の本書の成立に触れたところを抜いて置こう。12頁13行め~13頁5行め、

 他郷で波乱の一生を終わった母や、米寿を前に逝った伯母の口から聞いた白馬に伝わる/伝説や民話がおもしろく、いつか書きたいと思っていた。白馬での教員生活二十一年間に/分野を広めて、いろいろな人たちから聞いたり、調べたりしてせっせとメモした。
 原稿用紙に書きはじめてからでも六年になる。この文を縮めて毎月の「広報はくば」に/出しはじめると、反響は大きく、村人はもちろん、白馬を愛する村外の人々からまで多く/の声援がおくられてきた。いよいよいい気になって書いていったのであるが、これまた多/くの人から出版をという声に支えられて、「信濃路」さんにお願いすることになり、大変/お世話になった。また白馬村のみなさんには、いいつくせぬ助力をいただいた。


 14~16頁(頁付なし)「もくじ」。(以下続稿)