・『松谷みよ子の本 第2巻 太郎の物語・民話系創作文学・全1冊』一九九四年十二月二十五日・第一刷発行・講談社・669頁・上製本(20.0×14.8cm)
649~655頁、松谷みよ子「あとがき」は、まづ民話との出会い、瀬川拓男に誘われて「民話の会」に参加し民話運動に触れ、と云った経過を述べ、650頁3~16行め、その後、瀬川といっしょに、いわゆる太陽のない街で人形劇、紙芝居などを演じながら子ども会活動に参/加することになった。下町を歩きながら、彼はいうのである。「ロシア民話の主人公はイワンだろ、日本の/民話の主人公は?」いうまでもなく太郎よね、と答えながら、そうなのだ、『せむしの小馬』はロシア民話/のイワンの物語なのだと目が覚めるように思った。では日本の太郎は? 思い浮かぶのは侵略戦争の先頭に/立つ桃太郎がそれだった。桃太郎ではイワンたり得ない。
どこかにほんのうの、日本の太郎がいる。その太郎をみつけ出そうよと瀬川はいい、劇団・太郎座という/名前も実体がないまま、そのときもう生まれていた。
その後私は結核の再発で三年余を療養し手術を終えて彼と結婚、二か月後に信州へ採訪の旅に出た。日本/に触れたい、この手でさわるように触れたいという思いが、ようやく私に目覚めてきていた。そして、小泉/小太郎*1伝説に出会い、更に翌年の秋田採訪や日本各地の民話からも想を得て一九六〇年『龍の子太郎』を上/梓*2した。実は、この仕事と並行するように、五九年に歩いた和歌山の民話を基調とする「まえがみ太郎」/を、翌年三月福音館の「母の友」に六十枚発表、六三年四月より六四年三月まで同誌に連載、つづいて六四/年フレーベル館の「保育の友」に「ちびっこ太郎」を十回連載している。この間、私は太郎に熱中していた/のだなと年表をくってしみじみ思うのである。
と、採訪の旅と、そこから「日本の太郎」を創造して行ったことを述べております。この3作品は9~286頁「第Ⅰ部:太郎の物語」に、11~109頁「龍の子太郎」111~207頁「まえがみ太郎」209~286頁「ちびっこ太郎」と、発表順に収録されております*3。
私は童話を悦んで読むような子供ではなかったので松谷氏の児童文学には殆ど接しておりません。昔話や伝説の再話は小学校の高学年くらいに、昔話に興味を持ち始めた頃に接しているはずです。従って「まえがみ太郎」には今回初めてざっと目を通したのですが「ウシオニ淵」や「くじら」など、紀州らしい道具立てがあって、しかしどの程度、採訪の成果が盛り込まれているのかは、私には見当が付きません。今後初出と比較する機会があれば、そのときに果たすこととしましょう。
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昨日、ここまでを投稿して(以下続稿)としていました。
実は昨日の記事はこの『松谷みよ子の本』第2巻の方を先に入力して、それから第9巻に取掛ったのですが「藤槇淵」の件で長くなって、第2巻については別にしようかとも思ったのですがこれ以上書くこともないので、仕方なく(?)第9巻の記述に添えて投稿して置いたのでした。
ところが、今日、隣の市の図書館に出掛けて児童書の棚を覗いて見たところ「太郎の物語」のうち2冊があって、その後書きに『松谷みよ子の本』にはない記述があることに気付いて、それで急遽、昨日の記事から「太郎の物語」関連の箇所を切り離して、今日借りた2冊と抱き合わせて投稿し直すこととした次第です。
・児童文学創作シリーズ『龍の子太郎 (新装版)』松谷みよ子/田代三善 絵(2006年7月10日 第1刷発行・定価1400円・講談社・209頁・A5判上製本)
東京生まれの私は幼い日昔話を聞くこともなく、読んだ本といえばアンデルセンや赤い鳥名作選/だった。娘になってから童話の世界が好きで書きはじめたが、子どものためにという意識はあまりなく/て、主人公にもルーモとかファーボとかいうエスペラント語の名をつけてみたりした。やがてそうい/う自分が不満になってきた。手で触るように日本というものを確かめてみたい。そんな思いから結婚/するとすぐ民話採訪の旅に出た。一九五六年長野県を歩いて「信濃の民話」をまとめ、続いて秋田、/和歌山とはいったが、幼時民話と親しんでいなかったことがむしろ出会いを新鮮にし、一つ一つ、音/をたてて心の中に流れこんでくるような感動があった。民話とはこれほどまでにその土地に生きた人/びとの喜びや悲しみがこめられているものだったのか。私ははじめて自分が日本という風土に生まれ/育った人間だという実感を持てたのである。
かなり経緯が端折られていますが、子供の読者に伝えたい点が押さえてあると見るべきでしょう。
・偕成社のAシリーズ 1『まえがみ太郎』松谷みよ子 作/丸木 俊 絵(1979年6月 1刷・1984年2月 6刷・定価880円・174頁・A5判上製本)
この作品には長い経過があった。『信濃の民話』と『秋田の民話』をまとめたあと、昭和/三十三年、私は和歌山を歩いた。和歌山は山深く、いくすじもの川が海にそそいでいる。川/をさかのぼっては歩き、またくだり、海辺をつたって次の川へいく。川のせせらぎやよどみ/のあたり、魔ものたちの声を聞き、吐息が残っているように思われた。*5
信州や秋田の民話には、どろどろとした人間の原点がのぞく反面、人間の剛毅さにもまた/打たれた。しかし和歌山の魅力はすこし違っていた。北欧の民話を思わせる神秘性、象 徴 /的な美しさが私を捕えた。*6
淵に棲み、月の美しい夜、ウォーンウォーンとなきながら歩くという牛鬼、人間が影をな/められると三日の間に死ぬというのに、なめられたのが牛であれば強くたくましく育つとい/う。大声の出しくらべをして自らはじけてとんだ山んじい。束の間浮かんでは消えるという/山の御殿の主の大蛇。その御殿に向かってとぼとぼとひきよせられ姿を消した娘。天狗がと*7/【172】びかい、水底では姫が機を織る。海にはくじらが潮を吹いて泳ぎまわり、黒いうさぎを連れ/た姫さんが夕陽の丘に出て子どもを招く。暗い闇を巡礼をくわえた 狼 が駈け、その鈴の音/は長く私の心に残った。*8
そのころわたしは『龍の子太郎』をほぼ書きあげていた。そこへ福音館の松居直氏から六/十枚の書き下ろしを雑誌にという話があり、龍の子太郎につづく日本の太郎をという夢もあ/ったので、和歌山での出会いをもとにして書きあげた。昭和三十五年三月号「母の友」掲載/の『前がみ太郎』がそれである。*9
この後三年めに松居さんから六十枚の枠を外してみないかと話があり、三十八年四月号か/ら三十九年三月号まで「母の友」に連載した。しかし書き終わったあと、どうしてもふっき/れない。悩んでいるとき、松居さんがお手紙をくださった。「わたしたちはまえがみ太郎と/松谷さんをふたりだけにしてあげたいと思う」しんそこ有難いお便りだった。私のまわりに/ある目に見えぬかせを外してくださったのである。*10
このお便りのおかげもあって、昭和四十年に入ってから構想・文体を新たにして一気に書/いたのが、この『まえがみ太郎』である。‥‥*11
どうして『松谷みよ子の本』第2巻に再録しなかったんだろうと思うくらい見事な「あとがき(または覚書)」で、発表の経過、そして構想の基となった紀州採訪の様子、そして松谷氏が聞いた話の数々*12が詩的に美しく表現されております。
ところで、国鉄の紀勢本線が全線開通したのは昭和34年(1959)7月15日、松谷氏はここでも『現代民話考』と同じく和歌山採訪年を昭和33年(1958)と誤っていますが、全通したばかりの紀勢本線にも乗っていたはずです。
私の父は紀勢本線全通前後に大阪市立大学の学生で、全線開通の前年の夏に、級友と田辺に帰省している同級生の実家を訪ね、そこから未開通区間はバスで越えて、貧乏寺の本堂に泊めてもらったりしながら伊勢へと旅しております。私は母方の祖母の喜寿の祝いに旅行をした際に、大阪から那智勝浦まで特急で出掛けたことがあるくらいですが、そのとき見た紀州の風光は強烈に脳裡に刻まれております。そこから先は残念ながら、東の起点の亀山駅で紀勢本線の列車を眺めたことがあるだけです。――以前は全国を旅したいと思っておったのですが、今はどうせ踏まない土地の方が多いのだから、と、まぁネットで眺めるばかりです。そんなことではもちろん旅の代りにはならぬことは分かっておるのですけれども。(以下続稿)
【6月19日追記】『龍の子太郎』の新装版の元版を見た。
・子どもの文学傑作選『龍の子太郎』松谷みよ子/田代三善 絵(1995年9月15日 第1刷発行・定価1262円・講談社・209頁・A5判上製本)
【9月3日追記】偕成社のAシリーズ 1『まえがみ太郎』の「あとがき(または覚書)」を、何故『松谷みよ子の本』第2巻にそのまま再録しなかったのか、と書きましたが、『松谷みよ子の本』第2巻の「あとがき」を読み返して見ますと「あとがき(または覚書)」の内容を薄めて、他の「太郎の物語」とも絡めつつ再構成してあることに、改めて気付かされました。ここでは素材について述べた651頁16行め~652頁7行めを抜いて置きましょう。
三つの太郎の物語は、色とりどりの糸で編み上げていくような、楽しさがあった。先日、ロシアの人が私/の作品を訳したいといってきた。「まえがみ太郎はロシア民話ですね。」といった。さてはルーツを見抜かれ/たか。【651】
「火の鳥は日本にもいるんですよ。秋田の鉱山伝説では鉱石や火のかたまりをふらしながらかけめぐるんで/す。空飛ぶ白い馬もいます。白馬岳*13の中腹にある泉を飲みにくるんですよ。」
そんな話をした。和歌山では淵*14の中から月の美しい夜になると出てきて、ウォーンウォーンと鳴きながら/歩く牛鬼の話を聞いた。一つ目一本足の山んじい。空に浮かび上がっては消える山の御殿。山の村を歩くな/かでめぐりあった、さまざまの民話の主人公たちが、三つの太郎の物語でその場を占めていてくれる。そし/てその背後に、いま生きて動いている子どもたちからの示唆があって、だから太郎の物語は祖先と子どもと/の合作であり、私にとって大切な宝物のように思われる。
『まえがみ太郎』に出る火の鳥は、和歌山産ではない訳です。――しかし白馬岳に「空飛ぶ白い馬」の伝説があったらもっと山の名の由来として有名になっていそうなものですが。
*1:ルビ「 こ いづみ/ こ た ろう」。
*2:ルビ「じよう/ し 」。
*3:【6月11日追記】『松谷みよ子の本 第7巻 小説・評論・全1冊』の松谷みよ子「あとがき」に、751頁15~16行め「‥‥、一九六五年『まえがみ太郎』/(福音館書店)を全面的に手を入れ書きあげたときの、‥‥」とある。
*4:ルビ「おぼえがき」。
*5:ルビ「けいか ・し な の/わ か やま//ま ・と いき」。
*6:ルビ「ごうき /みりよく・ちが・ほくおう・しんぴ せい・しようちよう/てき・とら」。
*7:ルビ「ふち・す ・うしおに・かげ//つか・ま /ご てん・ぬし・だいじや・むすめ・てんぐ 」。
*8:ルビ「ひめ・はた・お ・しお・ふ ・つ /ゆうひ ・おか・まね・やみ・じゆんれい・おおかみ・か ・すず/」。
*9:ルビ「たつ・こ た ろう・ふくいんかん。まつい ただし/ゆめ/けいさい/」。
*10:ルビ「わく・はず//なや/ありがた・たよ/」。
*11:ルビ「こうそう/」。
*12:【追記】うっかりこう書いてしまったが、書物で読んで実際には聞いていない話が含まれているかも知れない。この件は追々、松谷氏の本を眺めながら確認して行くこととしましょう。
*13:ルビ「しろうまだけ」。
*14:ルビ「ふち」。