瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

図書館蔵書のカバー

 昨日、カバーのことを書いた。
 しかし、私がカバーのことを書くのは、実際全く適任でない。昨日、新潮文庫オリンポスの果実』を借りた後で、所用で外出したのだが、乗換えでJRと私鉄の駅を繋ぐ商店街を歩いていて、ふと立ち寄った古本屋で、つくづくそのことを感じた。
 古本屋の棚に並んでいる文庫本は、帯が付いていたりカバーが付いているものが多い。そうでないものは店外に晒してある。その、店内のカバー付初版本を手にとって、不覚にも欲しくなってしまったのである。カバー付初版とはいえ、薄汚れているから当時の定価よりは安い。
 しかし、こんなものを買っていては、既に置く場所がないのだし(図書館から借りてきた本も枕許や板の間に積み上げている状態だ)見たい本は山ほどあるので直に経済的に行き詰まってしまうだろう。それに、研究ということで本の内容を相手にしている限りでは、カバーの有無は問題にならない。
 しかし、研究するんじゃなくて本を読むのであれば、この“気分”の違いは大きいのではないか。Amazonに書影がないので示せなかったが、難波淳郎のカバーと松本孝志のカバーとでは、たぶん違って読めると思う。カバーなしのを1冊50円で買って読んだら、まるで違って読めるだろう。昨年、新潮文庫で読んでから、初版本を手にする機会があったのだが、白洲正子(1910〜1998)の著書や関連本で(近年は)有名になった(ように見える)青山二郎(1901〜1979)の装幀で、やはり印象がまるで違った。
 こうやって最良の“気分”を追い求めて行くには、やはり蒐書家にでもなるしかないが、それは困難だし、図書館という宝の山で人に知られず眠っている秘宝は決して少なくない。ここまでに挙げた本だって全部買っていたら結構な金額になっているはずである。やっぱり図書館派だからこそ、との矜持を新たにしよう、うん、そうしよう。
 さて、図書館の本は、館によって対応が違うが、カバーを外しているところもある。私が校友(OB)として使っている大学図書館の場合、最近、ブックコートフィルムをかけてカバーを残すようになったが、以前は廃棄していた。函も、閉架の本には残してある(本の背表紙が見えるように排架して、持ち出すと函を返して函の背が見えるようにして、それで本体が在架していないことを示す館員の智恵があったものだが、最近、書庫への出入りを自由にしたせいで、このような慣習が実行されないケースが目に付くようになってしまった)が、開架に排列されたものでは廃棄されている。それから、ある政令指定都市の住民だった頃、その市の中央図書館でエレベーター脇の箱に「ご自由にお持ち帰り下さい」とて函が出ていて、A4判やB5判の大きなもの、それから新日本古典文学大系岩波書店)などの作りのしっかりしたものを書類整理用によくもらったものである。
 それはともかく、カバーを記述するにしても、国会図書館他のように残していなければ*1無理だし、図書館蔵書ではブックコートフィルムの節約(?)のため、折返しを切除しているものも少なくないし、表紙・裏表紙にはバーコード、背表紙には分類票、そして折返しに貸出カードのポケットが貼付されていたりして、全体が確認できないケースが少なくない。
 かつ、カバーはフィルムで包むように貼り付けてあるのだから、本体の表紙がどうなっているのか、背表紙は密着させられないのでカバーを浮かせて覗き込むことが出来るが、それ以外の部分は確認できない(まさか、剥がす訳にも行かないし……)。
 実際に困った例も出てくる。例えば、新潮文庫の『全国アホ・バカ分布考』。

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

 私は単行本、松本修『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(一九九三年七月三〇日初版印刷・一九九三年十月二九日第九刷発行・定価1748円・太田出版・446頁)で読んだ*2のだが、単行本では折込になっていた「全国アホ・バカ分布図」が、新潮文庫ではカバーの裏に印刷されている。ブックコートフィルムが掛けてあると、気付けない。……買うか、単行本を探せばいいんですが。
 それから、上野顕太郎の漫画。

夜は千の眼を持つ (ビームコミックス)

夜は千の眼を持つ (ビームコミックス)

 カバーを外せないと、カバー裏の、【原作】ヴィクトル・ユーゴー【漫画】上野顕太郎ぼくらの名作漫画文庫レ・ミゼラブル」は読めない。一応、30頁に同じものが載っているが……小さすぎる……。二〇〇六年三月九日初版初刷発行・定価一二六〇円・エンターブレイン・474頁。

星降る夜は千の眼を持つ (BEAM COMIX)

星降る夜は千の眼を持つ (BEAM COMIX)

 カバーが外れないと、本体の裏表紙から表紙に掛けて印刷されている、この濃い顔の歌手が歌う「星降る夜は千の眼を持つ」の歌詞が読めない。2007年12月6日初版初刷発行・定価1380円・エンターブレイン・410頁。
 『謹製 イロイロマンガ』(2009年7月10日初版第一刷発行・定価1400円・ぶんか社・447頁)でも同様の仕掛けが凝らされている。帯に「家庭常備ギャグ」とあるが、カバー裏表紙の写真も凝っている。

謹製イロイロマンガ

謹製イロイロマンガ

 上野氏は似たようなことを『帽子男は眠れない(モーニングKCデラックス348)』(1993年1月23日第1刷発行・定価777円・講談社226頁)『帽子男の子守唄(モーニングKCデラックス717)』(1996年7月23日第1刷発行・定価777円・講談社・211頁)でもやっていて、それぞれ本体に、カバー絵の状況を説明した「帽子男と針と糸」「切手貼りの帽子男」なる、しょーもない駄洒落小咄が載っている*3。「帽子男シリーズ」を集大成した次の本には再録されていない。

帽子男 (BEAM COMIX)

帽子男 (BEAM COMIX)

 2009年7月7日初版初刷発行・定価950円・エンターブレイン・287頁。これには、本体の表紙に趣向はない。
 ちなみに、『星降る夜は千の眼を持つ』所収「国際漫画会議」の「ソルボンヌ大学名誉教授ジャン・ポール・ガゼー氏」に藝風が似ているといわれたことがある。ブログ開設前のことだが……。

さよならもいわずに (ビームコミックス)

さよならもいわずに (ビームコミックス)

 これには、ごたごたした仕掛けは皆無なのだが、一度は外して眺めたいところだ(2010年8月5日初版初刷発行・定価780円・エンターブレイン・273頁)。
 尤も、漫画、しかも一般の書店で見かけることが殆ど皆無だった上野氏の漫画(『さよならもいわずに』が売れたらしいので、扱いも変わっただろうか?)が、図書館に入ってブックコートフィルムを掛けられる筈もないから、全くの杞憂に過ぎないのだけれども、ひとたび図書館に入って事務的に処理されたら、カバーが廃棄されるか、バーコードを貼付されて一部が見えなくなるか、本体やカバー裏に何かあることは分かっても見えそうで見えないとか、そういうことになってしまう。
 もちろん、買えばいいんです。上野氏の漫画は、ここに挙げた分と挙げてない『五万節』(2009年7月7日初版初刷発行・定価950円・エンターブレイン・287頁)と、次の最新刊は買いました。置く場所に苦慮。

明日の夜は千の眼を持つ (ビームコミックス)

明日の夜は千の眼を持つ (ビームコミックス)

 最新刊(2011年2月10日初版初刷発行・定価1380円・エンターブレイン・420頁)でも、カバーと全く違う絵が印刷されており、50000票を獲得しての、夜千党・上野氏の当選確実には祝意を表したいが、なかなか複雑な思いをさせられるのであった(※ギャグです)。

*1:この辺りの事情は「松沢呉一の黒子の部屋」2009-11-10「お部屋1981/図書館の中では見えないこと 10・国会図書館がカバーや箱を捨てている事情【追記ありあり】」に詳しい。

*2:当時の読書メモが出て来たのでそのうち投稿する予定。

*3:2017年8月13日追記】この2冊の書影は2017年8月13日付「本多猪四郎監督『ゴジラ』(1)」に貼付した。