そもそもが専門家でもないと開き直って書いているのだから、もっといい加減に書いて良いのだと思うのだが、いざ始めて見ると、素人ながら、あれもこれもと見ていない文献・見るべき文献が思い浮かんでくる。そうすると、もう少し待って、確認してからにしよう、と思ってしまう。コピーを取らないので、一度見てメモを取ったものでも自分の筆写に疑問が生じてくると、もう一度見に行かないといけなくなる。じゃあコピーを取ればいいのだが、物を増やしたくないのである。増やした物が捨てられない。また何かの役に立つのではないか、と思ってしまうのだ。実際そんな経験はあまりないのだが、コピーを取らなかったものでこんなに物を思わせられるのだから、コピーを取る程のものは尚更だろう、と。……しかし、以前取ったコピーの所在が分からないくらいなのだが。
そんな訳で、中断しているものがいくつもあるが、忘れているのではなくて、次を書くのに必要なちょっとした段差が乗り越えられないのである。そんな次第で、図書館蔵書がどうこうと言いながら、『日本伝説集』訂正版や『日本怪談集―幽霊篇―』そして上野顕太郎の漫画など、持っている本の方が多くなってきた。1月13日付に「ブログ間違えたか?」と書いた通りになって、内容も一定しない。しかしやってることは同じなので、内容は違っても書いた人間が同じだと分かるような書き方なのであった。
休み休みそれなりに慎重にやってはいるが、どこまでも突き詰めて完成を目指すという風にはやっていない。たぶんきちんとした学者でもっときっちりやっている人がいるはず。私のは、別に論文でもないし、単なる細々した調査レポートである。論はない。感想は述べているけれども。だから素人だてらにあれこれと、小生意気なことを書こうという気にもなっている。が、評論している訳でもなく、複数の本を並べて比べて、どこが違うかを書いているだけである。中断してしまっている『わたしは幽霊を見た』考証も、村松氏の著書を並べて、その違いから『わたしは幽霊を見た』は事実でない、と言っているので、作業としては同じようなものである。やってる本人としては矛盾を感じていないのです。
それで、また回り道をして、今度は『遠野のザシキワラシとオシラサマ』を取り上げたい。これは佐々木喜善(1886.10.5〜1933.9.29)の著書なのだが、タイトルにそう書かなかったのは、これも著者の生前このような名前の本が出たのではないからで、ここのところ取り上げている高木敏雄『人身御供論』と同じく、宝文館出版から山田野理夫編集でまとめられたものである。そもそもは巻末に載っている『日本伝説集』『人身御供論』の広告をチェックしておこうと思って手にしたのだが、そこからまた妙な気を起こして、山田野理夫編集になる宝文館出版刊行の高木敏雄著作のついでに、同じく佐々木喜善著作についても触れておこうと思ったのである。
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この『遠野のザシキワラシとオシラサマ』には、次の諸版がある。昭和49年(1974)版、昭和52年(1977)版、昭和63年(1988)版、平成19年(2007)版。このうち、今手許には昭和52年版を除く3種がある。昭和52年版のことは近いうちに補うとして、これら3種をもとに、その改版ぶりを見ておこう。
『日本傳説集』『人身御供論』の記事を見ている人は既に察していることと思うが、この3種の関係は、『日本傳説集』のそれと同じである。まず上製本が出て、次に並装本が出て、そして他社から文庫版が出る、というパターンである。(以下続稿)