瑣事加減

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塩嘗地蔵(033)

・古都案内の決定版――「散歩みち」シリーズ山と溪谷社
 富岡畦草『カラー版・鎌倉の散歩みち』(一九八三年一月五日初版第一刷・定価一、三〇〇円・192頁)並製本
 シリーズ名は190〜191頁見開きの『京都の散歩みち』『奈良の散歩みち』の広告による(191頁には頁付なし)。シリーズの体裁について述べた箇所を引いて置くと「●定価各1,300円」で「A判20取り(天地18cm×左右14.8cm)/192頁(カラー176頁、1色16頁)/ビニール・カバー付/付録=4色刷観光地図」である。奥付は189頁(頁付なし)。185〜187頁「さくいん」、188頁右半分は「鎌倉のまつり」左半分は「鎌倉の本」*1。付録の地図「〈鎌倉の散歩みち/カラー版 折込付録〉鎌倉」(35×43cm)は東は光触寺、南は新小坪トンネル、北は今泉不動バス停、西は西武鉄道鎌倉七里ガ浜住宅地を範囲とし、左上、全国天気予報の沖縄県の位置に少し縮尺の小さい「江の島」が載る。裏は単色で「鎌倉時代略年表」と「桓武平氏系図清和源氏系図/北条氏系図/足利氏系図/上杉氏系図」。
 なお、見返しはモノクロで、白の○が菱形の網目に並ぶ模様に、それぞれ見開きで表紙見返しには小さな五輪塔がぎっしり並ぶ写真、裏表紙見返しは蓮の葉や花・蕾が並ぶ写真である。うち、そして、この写真の片面を1頁・192頁とカウントしている(頁付なし)。3頁(頁付なし)は扉。
 4〜5頁の富岡氏(1926生)による「はじめに」には、昭和27年(1952)に湘南・藤沢市に移り住み、「開発と称する自然破壊」を目にして「撮影に奔走」するうち、昭和36年(1961)に「山溪文庫の企画が持ち込まれ」、「昭和三十八年、世に出た拙著『鎌倉の散歩みち』」は「多くの方々のご支持を得」て「以来二〇年間に二〇版を重ね」たが、「いよいよガイドブックもカラー版で、という編集部の意向に従い、作り直し」た、とある。元版は未見。
 6〜7頁(頁付なし)「目次」、9頁から本文。まず「鎌倉概説――散歩みちを歩く前に」として「自然環境/人々の歴史/鎌倉と仏教」が概観される(〜19頁)。そして20〜184頁に15章に分けて散歩コースが紹介されている。本来の鎌倉だけでなく、大船や藤沢遊行寺・江の島を含む。毎頁にカラー写真もしくはカラーのルート地図が掲載されている。縦書き3段組、1段25行、1行16字。
 光触寺は166〜176頁「14 朝比奈から金沢街道沿いに――紅葉を踏んで古き道を」のうち、170頁下段22行め〜171頁下段6行めに見える。鎌倉駅から金沢八景行のバスで大道中学校前停留所で下車し、西へ、鎌倉へと歩くコースが設定されている。すなわち鼻欠地蔵から朝比奈バス停を経て、以下170〜171頁(上段中段、171頁は14行分)に掲載される地図に挙がるポイントを上げていくと、朝夷奈切通し・熊野神社太刀洗水・十二所神社・光触寺・明王院浄妙寺報国寺・杉本寺、というルートである。
 まず、「頬焼阿弥陀*2」について述べ、次いで以下のように見える。

 また本堂に向かって右側、覆屋に/祭られた凝灰岩の石造地蔵菩薩嘗地蔵*3と呼んでいる。もとは光触寺/橋のたもとにあって、六浦から来る/塩売り商人に信仰された。朝、鎌倉/に入ると塩売りは商いの成功を祈っ/て一つかみの塩を上げた。しかし帰/りにはなくなっていたところから、/いつしか塩嘗地蔵の名が起こった。

*1:「現在入手できるもので、ぜひ併読をお勧めしたい鎌倉関係の本を選んでみました。」ということで、参考文献という訳ではないらしい。

*2:ルビ「ほおやき」。

*3:ルビ「しおなめ」。