瑣事加減

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塩嘗地蔵(032)

・「なるほど事典」シリーズ実業之日本社)四六判・並製本・縦書き・カバー。
 「〜なるほど事典」というのはナツメ社(新雑学シリーズ)やPHP文庫からも出ている。実業之日本社からは平成6年(1994)から18年(2006)に18冊、うち12年(2000)から15年(2003)に15冊刊行されていた。

鎌倉なるほど事典 (なるほど事典シリーズ)

鎌倉なるほど事典 (なるほど事典シリーズ)

 三浦勝男 監修・楠本勝治 著『鎌倉 なるほど事典』(2002年11月29日初版第1刷発行・定価1400円・294頁)
 監修の三浦氏(1937生)は鎌倉国宝館館長、著者の楠本氏(1947生)は紀行作家*1。著書はこれ1冊で、他に「東京人」に寄稿している。
 カラーなのは表紙のみ、写真は裏表紙のみで、本文中にはイラストが挿入される。本文は5つの章に分かれ、さらに見開き2頁で完結する節に分かれる。事典と名乗っているが、読み物である。70〜73頁「右大臣実朝の横死と大銀杏」と182〜185頁「名数で歩く鎌倉の名所」のみ4頁。すなわち、第1章 鎌倉の歴史に学ぶ(17〜76頁、28節)、第2章 神社仏閣を訪ねる(77〜146頁、34節)、第3章 町並みを歩く(147〜202頁、26節)、第4章 味・食べ処を歩く(203〜256頁、26節)、第5章 宿・交通の最新情報(257〜289頁、16節)で、合計104節。各章末、76頁は「源氏系図」、146頁「平氏系図」、202頁「北条氏系図」、256頁「鎌倉の国宝重要文化財」、また節の最後にところどころ「歴史ミニ知識/メモ知識/生活ミニ知識」という囲み記事がある。本文は2段組。
 なお、監修の三浦氏の文章は見当たらない。3頁「はじめに」も楠本氏。4〜5頁(頁付なし)は東は光触寺、南は逗子市役所、北は大船駅、西は江ノ島を範囲とする見開き地図。6〜15頁「目次」、290〜293頁「索引」、294頁「参考文献」、索引と参考文献は4段組。
 第2章の9節めが「塩嘗地蔵と地蔵神話」である(94〜95頁)。副題は「奈良時代に中国から伝来した地蔵信仰が鎌倉の地で花開く」。まず「念仏道場として/知られる光触寺」として寺について述べる。『頬焼阿弥陀縁起絵巻』には言及するがその内容には触れていない。次に「六浦の塩売りが/地蔵に塩を供えた」として、次のように述べる(95頁上段)。

 滑川に架かる光触寺橋を渡り、石段を登って山門をく/ぐると、光触寺の境内へ。木々に囲まれた境内に、ひっ/そりと本堂がたたずんでいる。その本堂の脇に小さな地/蔵堂があり、塩嘗地蔵*2が収められている。この塩嘗地蔵、/なぜそう呼ばれるのか。
 ひとつは、六浦の塩売りが、初穂の祝いのために、「地/蔵に供えられた塩をなめたから」という説や、塩売りの/供えた塩が「いつの間にかなくなっている」というので、/そう名づけられたともいわれている。いずれにせよ、鎌/倉には地蔵信仰が多く存在する。


 最後に「現実に即した願いを/かなえてくれる地蔵信仰」で、地蔵信仰についてまとめて締めくくっている。それから囲み記事「歴史ミニ知識」は「身代わり地蔵」で、浄明寺*3の矢拾地蔵を例に述べている。
 さて、塩嘗地蔵の名称の由来を2つ紹介しているのだが、94頁下段のイラスト、塩嘗地蔵の堂の前で塩売りが塩を嘗めて「しょっぱい!」と言っている図にもなっている1つめの説は、他で見たことがない。しかしながら、楠本氏は「参考文献」に56タイトルの本・雑誌を挙げ、HPも38を挙げている。これまでに当ブログでも取り上げたものも少なくないが、まだ未見のものもある。どこかにこんな説を立てているものがあるのだろう。追究しても仕方がないような気もするが、ぼちぼち当たって見ることとしたい。

*1:カバー表紙及び扉。奥付には「ノンフィクション作家」。

*2:ルビ「しおなめ」。

*3:光明寺が正しい。