瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(27)

 七人坊主の話に出て来る地名については、現地調査に行ったはずの小池氏は何故か「平根が浦」にのみ拘泥して、参考文献として挙げている浅沼良次『八丈島の民話』に見える地名をまるで追究しようとしていないことは、10月19日付(06)に注意して置いた。
 その他、若干の地名を拾っているが、もうそろそろ、地名全体についての、ある程度の見当を述べて置こうと思う。いや、見当という程のものではないが、活字本『八丈実記』の拾い読みの成果を、ここにメモして置きたいのである。
 八丈島の地理に関係する記述は、11月24日付「『八丈實記』(01)」にも指摘して置いたように、活字本第一巻に集められている。
 中之郷の地名は『八丈実記』巻四(活字本第一巻第四編)所収、明治四辛未年五月改/明治七甲戌年三月再改の「八丈嶋中之郷字目録」(278〜280頁)に列挙されている。これは「在家地名/作場地名/海岸地名」とに分けられているが、「作場地名」に「不動ノ沢」「込ノ川*1」が、「海岸地名」に「平根ヶ浦」が見える。「六ッパが峠/ロッパがオバタ」は見あたらない。11月23日付(22)にも注意したように「おばた」とは「峠」のことであるが、この「目録」には「〜尾畑」という地名として、「作場地名」に「峠ノ尾畑*2」「法戸路ヶ尾畑*3」「灰池ヶ尾畑」「薄木ヶ尾畑」が見える(以上言及した地名は279頁)。
 但し、肝心の「ハテイの川」は、この「目録」には見当たらない。11月2日付(10)11月3日付(11)に引用した『八丈実記』に「ハテイノ川」が見えていた(活字本第一巻第三編124頁)が、これは中之郷ではなく、北東に隣接する末吉村の地名なのである。『八丈実記』の活字本第七巻(昭和五十一年十月二十日発行・定価四、二〇〇円・446頁)の「地名索引」を見ても、この末吉村の「はていの川 [一]六〇/ハテイノ川 [一]一二四 [六]三三二」の他に、類似の地名として「はていが坂 [一]二八七/はていが沢 [一]二八八」が見えるくらいである。
 末吉村の「ハテイノ川」の記載の一部は、既に11月3日付(11)に引用して置いたが、これ以外にも若干の記載がある。これらについては、次回確認することとしたい。
 類似の地名「坂」と「沢」だが、これは属島の八丈小島鳥打村の地名で、『八丈実記』巻四(活字本第一巻第四編287〜289頁)所収「八丈嶌枝小島鳥打村字地名覚」(明治初年の「五月廿三日」付)として列挙される中に「はてひが坂」「はていが沢」と見える(289頁上段)。
 さて、七人坊主の「ハテイ」は11月8日付(15)に引いた矢口氏の説明にあるように「七人坊さんのはてたと言われる」のが、その由来らしい。だとすると八丈小島の「はてひが坂」「はていが沢」にも、やはり誰かが「はてた」とする由来が伝えられていたのだろうか*4
 仮にそうだとしても、八丈小島の地名は七人坊主とは無関係だろう。やはり気になるのは、末吉村の「ハテイの川」と七人坊主の「ハテイの川」の関係である。『八丈実記』等には見えないが、中之郷に別に「ハテイの川」があるのだろうか。(以下続稿)

*1:ルビ「コミ」

*2:278頁にも重複して見える。

*3:ルビ「ホウトロ」。

*4:いよいよ関係ないかも知れないが「はて根か浦」という字([一]287頁)もあることを附記して置く。