瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(28)

 末吉村の「ハテイの川」は複数見えている。もう1つ「地名索引」に出ているのは活字本第一巻第二編、これは原本巻五のうち「八丈島より所々江海上方角路程産物来由御尋書請」を独立させて収録したもので、宝暦十年(1760)三月に八丈島の地役人・神主・名主が関東代官伊奈半左衛門(忠宥。1729〜1769)宛に提出した、寛延二年(1749)八月に八丈島の地役人・神主・名主が駿府御代官大屋杢之助宛に作成・提出した御尋(質問)への返答書の写しである。このうちの水利についての条(59〜60頁)、末吉村には「やしろの川 在家給水」「せとの川 右同断」「はていの川 田原懸水」「石積の川 右同断」「名古の川 右同断」が挙がっている。それぞれ割書の注があるが省略、「はていの川」の分のみ引いて置く。

旱魃之節ハ干揚申候。


 この他に原本巻四(第一巻第四編)所収「弘化三丙午年御代官江川氏渡海ノ節、八丈嶋惣絵図面改正」と題する表(161〜172頁)は、「寛政八絵図」すなわち寛政八年(1796)の絵図を元に、弘化三年(1846)に改正を行ったもので「□誤印 ○無之印 此度加之」との注記がある。枠は「上ハ山通リ 中ハ里 下ハ海岸」の3つに分けられている。末吉村(167〜168頁)の表、「里」欄のうち、「ミコノ尾」集落の近くに「ハテイノ川 トウノウ」と見える。
 ここのところ、11月3日付(11)に引いた、原本巻六(第一巻第三編)五村惣評/末吉村」の「泉川」の条に見える、「カワノウ地ト云所ニハ、子ノ川トモ八僧ノ川トモ云アリ」との記述との関連を考えてしまう。「カワノウ地」と「トウノウ」の類似、そして「ハテイノ川」と「八僧ノ川」の、餓死した僧侶の祟りという伝説の類似が、気になる。確証はないし、何となく似ている、というまでなのだが。(以下続稿)