演劇が出来なくなったマヤは大都芸能との契約を解除する条件として、速水真澄に(また)代役を勤めさせられる。姫川亜弓主演「夜叉姫物語」の乞食の子供役(役名トキ)が盲腸炎になったためであったが、それを知った端役たちが(また)単行本第17巻143頁1〜2コマめ、マヤを困らせようと妨害を試みる。
女端役A:「ねえ いいこと思いついた/あの子困らせてやらない?」
女端役B:「どうするの?」/
女端役A:「あのね」
端役たち:ぷー
女端役B:「それはおもしろいわ/あの子困るわよきっと」/
こんなことは既にさんざん指摘されていると思うのだが、舞台の上で一番困るのはマヤだろうが、マヤが立ち往生した場合、舞台は続けられなくなって、全員に不利益が及ぶのだ。単行本第16巻149〜164頁(文庫版第10巻119〜134頁)、共演者の妨害ではないが、アテナ劇場「黄金の実」では客席に紛れ込んだ乙部のりえの計画の協力者たちの妨害により、マヤは演技が出来なくなり、結果舞台がめちゃめちゃになり、役を下ろされている。しかし、今度の場合、マヤは1日限りの代役だから、下ろすも何もない。それに、失脚したとは言え、まだ大都芸能=速水真澄が付いているのだ。しかも、真澄は舞台の袖で見ている。かつ、「黄金の実」への巧妙な妨害に対して、以下行われる妨害行為は余りにも稚拙である。アホ過ぎる、と言って良い。本物の石を投げたり、饅頭を泥饅頭にすり替えたり――にしても、いつ作ったんだ? それはともかく、こんなに分かりやすいことをして、まともに責任を追及されたりしたら、犯人の端役たちこそ演劇を続けられなくなって「困る」だろう。しかし、この漫画では小野寺先生の教唆による劇団つきかげへの犯罪行為も、この泥饅頭も責任が追及された気配がない。「夢宴桜」の台本すり替えにしてもそうだ。そして、ここのところでは(また)亜弓さん(だけ)が犯人に気付いて同じような注意を(恰好良く)与えるだけなのだ。単行本第17巻158〜159頁(文庫版第11巻7〜8頁)。それってどうよ? と、どうしても思ってしまう。
それはともかく、単行本第17巻152頁(文庫版第10巻308頁)4〜6コマめ、泥饅頭を前にして現実に引き戻されそうになったマヤが、再び役に戻るシーン、
マヤ:(でも…/ここは舞台の上/「夜叉姫物語」の世界/ああ うめえ ああ うめえ/おらこんなうめえものくったことねえ/
マヤ:白目(くったことねえ/くったことねえ)/
マヤ:(こんなうめえものくったことねえ)/
と役の台詞を心の内で繰り返すうちに役に戻って、単行本第17巻153〜156頁(文庫版第10巻307〜310頁)の、例のシーンに繋がるのだが、単行本では「でも…」だけが丸ゴシック体で、以下は明朝体になっていた。文庫版では「でも…/ここは舞台の上/「夜叉姫物語」の世界」までが丸ゴシック体で、以下が明朝体である。しかし、ここは「ああ うめえ ああ うめえ/おらこんなうめえものくったことねえ/くったことねえ/くったことねえ/こんなうめえものくったことねえ」も、実際に喋っている訳ではないのだから、全部丸ゴシック体にすべきだろう。
しかし、あんなにジャリジャリ音を立てながら食べて、客が気付かなかったとすれば、相当の演技力である。いや、演技の域を超えているのかも。単行本第17巻153頁5コマめから156頁までに「ジャリ」音が11回繰り返されている。それにしても、153頁3コマめの表情が、怖い。