瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

幸田露伴『五重塔』の文庫本(2)

岩波文庫31-012-1(2)
 1頁(頁付なし)扉、複製と現在のものと、レイアウトは一致。①復刻は3頁から本文で94頁まで、1頁15行、1行42字、総ルビ。②79刷は3〜88頁まで本文、1頁16行、1行43字、ルビは半分くらい。ここまでは本字。③は歴史的仮名遣いだが新字、1頁14行、1行39字で本文は7〜116頁。3頁(頁付なし)「目次」、5頁(頁付なし)中扉が新たに加えられている。中扉には上部に標題、下部に「蝸牛露伴著」とあるが、これは①②では本文の冒頭に2行で入っていた。
 ①復刻には解説はない。②鹽谷贊「解説」89〜97頁、「昭和三十一年十月」付。③桶谷秀昭「解説」117〜124頁。
 桶谷氏「解説」には初出についての説明がない。②鹽谷氏「解説」は次のように始まっている(89頁)。本字だが現代仮名遣い。

 露伴の「五重塔」は新聞「國會」の明治二十四年十一月七日號から翌年三月十八日號まで三十/一囘連載して中絶したあと、「五重塔餘意」と題して再びその年の四月十二日號から載り、十九/日號に三十五囘を以て完結した、作者の數え年二十五歳から二十六歳へかけての作品で、「いな/さとり」とともに初期の代表作とされるものである。現行本は明治二十五年十月青木嵩山堂發行/の「尾花集」に收められたかたちをもととし、新全集版もそれに據っていて、初刊本以來の誤植/と考えられる一字を訂正してある。「露伴全集月報」第十四號に、「……結末の句、『西より瞻れ/ば飛檐或時素月を吐き』の飛檐は、初刊本『尾花集』以下の諸本には『飛椽』とあり、舊全集に/は『飛椽』と振仮名を更へてゐるが、一代の傑作と稱せられる作品であるから一字一句もゆるが/せにすべきではないので、椽は檐の誤植と斷定し、こゝに『飛檐』と改めることとしたものであ/る」というのがそれである。新聞に載ったときにはこの句は存しない。*1


 「新全集版」というのは③125頁〔編集付記〕に3項目あるうちの1項め、「一、本書の底本には、『露伴全集』第五巻(一九五一年三月三一日、岩波書店刊)を用い、旧岩波文庫/版を適宜参照した。」とある、露伴没後、鹽谷贊(1916.8.28〜1977.5.8)が編纂に当たった全集(岩波書店)である。①復刻は「飛椽」で「ひてん」の振仮名がある。
 鹽谷氏「解説」では95頁2行めの「清吉の母親のやうな人間まで」が第79刷でもそのままになっているところも気になるが、92頁8〜10行め「……、近代の新聞小説という文學の形式が露伴の時代にすで/に、のちの大衆文學の模範的な要素を具え得ていたことについては、文庫本「いなさとり」の解/説に於て述べた。……」として、長らく再刊されていない『いなさとり』の「解説」に言及している辺り、改版に当たって鹽谷氏「解説」を引き継がなかった一因かも知れない。私などには桶谷氏の「解説」よりも鹽谷氏の「解説」の方が参考になるのだが。(以下続稿)

*1:ルビ「ろはん・ごじゆうのとう/の//あおきすうざんどう/おばなしゆう・よ/み/そげつ・ひえん/ひてん・ふりがな・か/ひえん/」