瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島正文 著/廣瀬誠 編『北アルプスの史的研究』(4)

 昨日は「第三章 白馬岳をめぐって」の「白馬岳志雜攷」を見ただけで力尽きてしまったが、この章には他に次の小文が収められている。
・345頁12行め~348頁17行め「白馬雜談」(『山岳会報』八二号・昭和十四年)
 これは「日本山岳会」HP「会報「山」バックナンバー」にて閲覧出来る。すなわち「會報」昭和十三年十二月/82(昭和十三年十二月十五日印刷・昭和十三年十二月十六日發行・日本山岳會・7頁)3頁に中島杏子「白馬雜談」として掲載されている。5段組。杏子は俳号。月が入っておらず年が間違っている。
 ここで不審に思うのは昨日見た「第二章」の最後「五 六 岳」の末尾(271頁16行め)に「(『山岳会報』二九号・昭和十九年二月)」とあったことで、同じ会報だと思われるのに、号数が遡っている。或いは同じ誌名で別の会報なのか、それとも改組か何かがあって番号を打ち直したのかと思って、改めて「会報「山」バックナンバー」を見るに、「會報」昭和19年1,2月/129(昭和十九年二月二十三日印刷納本・昭和十九年二月二十五日發  行・頒価(停)二十錢・日本山岳會・12頁)3頁2段め13行め~4頁1段め22行め、中  島   正  文「五  六  岳」と見えている。5段組で題と著者名は2段抜き。すなわち「一二九号」の「一」が脱落していたのであるが、これは校正が引っ掛けて欲しいところである。なお、この初出の最後の行は「(一九・一・二) 」と下寄せで成稿の日付を示していたが、何故か本書では省かれている。
「第四章 上高地をめぐって」349頁扉(頁付なし)
・350~404頁7行め「神 河 内 志」(昭和一五・一〇・一〇 於越中杏子文庫、『山岳』三十六年一号)
 350頁8行め「一、はしがき」
 352頁4行め「二、穗高ノ神のこと」
 355頁3行め「三、神河内有縁のことども」
 359頁8行め「四、藩政時代の神河内」
 396頁6行め「五、明治の初めかた」
 398頁15行め「六、上高地是非」
 最後は1行分空けて2字下げ(1行めはさらに1字下げ)で3行、やや小さく断書き。
 ここで初出誌と対照結果を示したいところであるが、現在「日本山岳会」HPの「機関誌「山岳」バックナンバー」では第三十六年の第一號と第二號が表示されなくなっている。よって日を改めて補うこととしよう。
・404頁8行め~429頁7行め「山 手 帖 抜 書」
「一」404頁9行め~410頁7行め (筆者は富山縣津澤町郵便局長、『山と溪谷』一〇三号・昭和二十二年)
 「上河内伐木のこと」404頁10行め
 「御境見分道程」407頁1行め
 「赤牛三吉由來」408頁4行め
「二」410頁8行め~415頁8行め (『山と溪谷』一〇五号・昭和二十二年)
 「葛の湯の所有權」410頁9行め
 「山 の 強 盗」411頁13行め
 「上高地の牛小屋」414頁1行め
「三」415頁9行め~422頁7行め (『山と溪谷』一〇九号・昭和二十三年)
 「上河内の盗伐沙汰」415頁9行め
 「盗伐事件裏表」417頁16行め
 「他境巡廻百首」421頁2行め
「四」422頁8行め~429頁7行め (『山と溪谷』一一五号・昭和二十三年)
 「穗高奥宮祭り」422頁9行め
 「上河内山の見分」425頁13行め
 「黑部峽谷の探檢者(一)」427頁7行め
 まだ続けるつもりだったらしいがここまでで中絶したらしい。
・429頁8行め~444頁12行め「播隆上人の生涯と槍が岳開山」(於越中津澤、杏子文庫、『山と溪谷』一三四号・昭和二十五年)
 「山と溪谷」は国立国会図書館デジタルコレクションの[国立国会図書館限定]公開なので未見。103号(昭和22年9月)7~9頁「山手帳拔書(一)」、105号(昭和22年11月)14~16頁「山手帖拔書(ニ)」、109号(昭和23年3月)10~13頁「山手帳拔書(三)」、115号(昭和23年10月)7~10頁「山手帳拔書(四)」、134号(昭和25年7月)32~40頁「播隆上人の生涯と槍が岳開山」。いづれも著者「中島正文」。(以下続稿)
2022年1月2日追記】当初「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(192)」と題していたが、余りにもそちらに関わらないままになったので記事の題を書名に改めた。