瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「足要りますか?」(2)

・永山一郎「配達人No.7に関する日記」(2)
 昨日の続き。
 北原氏が手にした遺稿集(マンジュウ本)はなかなか手に取る機会がなさそうなので、先々週、某区立図書館の返却期限に合わせて『永山一郎全集』の取り寄せを依頼して、先週、借りて来たのだった。
・『永山一郎全集 全一巻昭和四十五年六月十五日初版第一刷発行・定価二〇〇〇円・冬樹社・547頁・A5判上製本
 遺稿集の帯は野間宏(1915.2.23~1991.1.2)、解説は奥野健男(1926.7.25~1997.11.26)だったが、『全集』の「解説」は桶谷秀昭(1932.2.3生)である。
 細目はブログ「研究余録 ~全集目次総覧~」の、2011/03/12「『永山一郎全集』全1巻」に示されている。震災当日の深夜の投稿である。それはともかく「第一部 創作」として10点収録されるうちの8点めが「皮癬 の唄」と、恐らく入力出来なかった文字が空白になっているが「皮癬蜱の唄」である。この「皮癬蜱の唄」のみ、文庫本で読むことが出来る。

 1~3頁(頁付なし)「目次」にはない、詩集『地の中の異国』の「あとがき………………………………… 261」を追加していることと、やはり「目次」には作成者名が示されていない、最後に附載される「*年譜(尾形尚文)……………………… 537/*解題(高橋徹)………………………… 541」に作成者名を追加しているのは適切な処置である。ただ、各部ごとに空白の行があったのを詰めたり、字下げを原本に従わなかったり、やや見づらい。
 537~540頁「年  譜」には、末尾(540頁上段9行め下寄せ)に(作成・尾形尚文)とある。「配達人No.7に関する日記」に関係する記事を拾うと、最も長い538頁上段19行め~539頁上段1行め「昭和三十六年一九六一) 二十七歳」条、まづ、538頁上段20行め「四月、山形県最上郡戸沢村々立古口小学校沓喰分校に転任。」とあり、下段6~10行め「八月」条に、8~9行め「‥‥。創作「配達人No.7に関する日記」/(四十七枚、筆名、青沢永)の初稿を八月五日脱稿。‥‥」とあり、539頁上段2~12行め「昭和三十七年一九六二) 二十八歳」条、3~5行め、

四月、創作「配達人No.7に関する日記」を改稿(五十枚)し/「教育評論」増刊「教師の文芸」第二号に発表。筆名、青沢/永。‥‥

とある。なお539頁下段5~17行め「昭和三十九年一九六四) 二十九歳」条*1、9~11行め、

三月二十六日午後七時頃(推定)、古口小職員離散会を終え、/新庄市本合海福宮地内の国道からモーターバイクのまま転落、/死亡(山形新聞三月二十六日付夕刊による)。

とあるが、3月26日19時頃の事故のことが同日付夕刊に載るとは思えないから、発見が翌27日朝になってからとして、27日付夕刊に出たのではないだろうか。
 541~547頁「解  題」には、末尾(547頁下段4行め下寄せ)に(作成・高橋徹)とある。「年譜」と「解題」を見るに、雑誌に発表された作品で『全集』に収録しなかったものが幾つかあるようだ。「配達人No.7に関する日記」については、542頁下段9~10行め、

 配達人No.7に関する日記 「教師の文芸」一九六二年号に青/沢永の筆名で掲載。のち遺稿集に収録。

とある。遺稿集は前回触れた『永山一郎作品集・出発してしまったA'』。(以下続稿)

*1:満年齢では30歳になる勘定だが、誕生日よりも前に死亡しているので「昭和三十八年一九六三) 二十九歳」条」と年齢が重なる。