・白馬岳志雜攷
昨日の続き。
「第一章 黒部奥山と奥山廻り役」にはこの他に2篇、これ以降は全て新たに活字を組んでいる。また、これ以降のものは末尾に下詰めで「凡 例」の最後、13行め「六、初出書誌名とその年月は各文末に記した。」とある通り、初出を示している。
・222~226頁1行め「黒部奥山廻り役について」(『岳人』八七号・昭和三十年七月)
・226頁2行め~231頁4行め「黒部の古文書二、三」(『山小屋』昭和二年一〇月号)
「第二章 針ノ木峠と後立山をめぐって」233頁扉(頁付なし)
この章は初出に年しか示していないものが多い。『岳』は書籍である。
・234~254頁「針ノ木峠考 ――佐々成政の針ノ木越について――」
243頁8行め、(『山と溪谷』六一号・昭和十五年)
254頁17行め、(『山と溪谷』六二号・昭和十五年)
・255~260頁15行め「峠の古文書」(『山と溪谷』九八号・昭和二十二年)
・261~265頁1行め「後 立 山」(『岳』山と溪谷社・昭和十八年)
・265頁2行め~268頁15行め「二つの鷲羽嶽」(『山と溪谷』六七号・昭和十六年)
・269~271頁16行め「五 六 岳」(『山岳会報』二九号・昭和十九年二月)
「第三章 白馬岳をめぐって」273頁扉(頁付なし)
・274~345頁11行め「白馬岳志雜攷」
274頁2行め「はしがき」
276頁5行め「白馬岳の山名(一) ――越後方面」
285頁13行め「白馬岳の山名(二) ――信濃方面」
296頁9行め「白馬岳の山名(三) ――越中方面」
306頁8行め「大日岳の山名」
308頁10行め「白馬登山考」
323頁1行め「蓮花銀山考」
331頁12行め「蓮花温泉の開湯」
340頁5行め「白馬鑓ヶ嶽温泉と白馬銅山」
344頁7行め「結び」
345頁8行めに下詰めで「(昭和一九・一〇・二〇・於越中杏子文庫、『山岳』四十三年号、四十五年号、四十七年号)」とあり、1行分空けて9~11行めに2字下げでやや小さく、1行めは用字についての断書き、2~3行めは謝辞。
これも前回と同じく「日本山岳会」HPの「機関誌「山岳」バックナンバー」を閲覧するに、まづ「山岳」第四十三年第一號(昭和二十三年十一月五日印刷・昭和二十三年十一月十日發行・定價 百六十圓・160頁)37~59頁「白 馬 岳 志 雜 攷 (上)」が掲載されている。第二號は出ていない。
37頁3行め「はしがき」
39頁7行め「白馬岳の山名(一)」
48頁14行め「白馬岳の山名(二)」
・「山岳」第四十五年(昭和二十五年六月一日 印 刷・昭和二十五年六月十日 発 行・定価 二〇〇円・183頁)134~161頁6行め「白 馬 岳 志 雜 攷 (中)」が掲載されている。
134頁3行め「白 馬 岳 の 山 名(三)」
144頁12行め「大 日 岳 の 山 名」
146頁16行め「白 馬 登 山 考」
・「山岳」第四十六・四十七年(一九五二年十月二十日発行・定価四〇〇円・215頁)145~161頁6行め「白 馬 岳 志 雜 攷 (下)」が掲載されている。
145頁3行め「蓮 花 銀 山 考」
154頁9行め「蓮 花 温 泉 の 開 湯」
163頁11行め「白馬鑓ヶ嶽温泉と白馬銅山」
167頁15行め「結び」
168頁15行め、本文末に続けてやや小さく「(昭和一九・一〇・二〇・於越中杏子文庫)」とあり、1行分空けて2字下げで3行、断書きと謝辞。初出(「山岳」第四十三年、第四十五年、四十六・四十七年)」はこの謝辞の後に付けるべきだったろう。
「山岳」は第三十八年(昭和18年)から第四十二年(昭和22年)からまで5年分刊行されなかったので、昭和19年(1944)10月20日成稿の「白馬岳志雜攷」は4年余経た、戦後初の第四十三年(昭和23年)に漸く 1/3 が載り、第四十四年(昭和24年)は2冊出ているが第一號(昭和二十四年十月五日 印刷・昭和二十四年十月十日 發行・定價 百八十圓・178頁)は追悼文などを集めた「小島烏水記念號」となったために論考は掲載されず、第四十五年に中盤 1/3、そして残り 1/3 は第四十六・四十七年が合冊となったため更に遅れ、成稿から丁度8年後に漸く分載が完結している。(以下続稿)
【2022年1月2日追記】当初「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(191)」と題していたが、余りにもそちらに関わらないままになったので記事の題を書名に改めた。