やはり昭和14年(1939)2月21日(火曜日)に、三面記事のトップに出た記事をもう1つ見て置きましょう。
「萬朝報」昭和十四年二月二十一日(火曜日)付*1、第一萬六千二百七十二號、(二)面、13段組の紙面のうち下4段分は広告で、9段ある記事のうち右上の一番目立つところに見出しは5段抜き、本文は1〜3段めに入っています。記事本文の文字は全て明朝体ですが、途中活字を大きくしたところがあります。ここでは仮に太字にして示しました。この箇所にはルビがありません。それから最後の1字下げの箇所もルビのない活字で組んであります。
見出しは「變態"赤マント"の獵奇事件/小學校兒童間に喧傳/警視廳が全市小學校へ注意喚起」2行めは1行めの「態」字の脇から、3行めは「兒」字の脇から始まっています。見出し2行めの「學」字の脇から2段め、3行めの脇から3段めになっています。また文中の二重鍵括弧は全て半角です。
最近帝都の下町上手主として工場/地帶一帶にかけて『赤マント云々』/の惡質デマが流布され、物凄い傳/播力で子供を中心に市民に喧傳さ/れて居る状況に*2 警視廳でも/捨てゝ置けずと其の根/據を探究する一方、各/署を督勵其の根滅に努/めて居るが、其の根據/とする所は板橋署で去/る十八日逮捕した女工/【1段め】さん對手の痴漢から出/て居るらしく、それが/女工さんばかりを襲ふ/所から赤マント云々の/妄想が起り、眞しやか/に喧傳されたもので其/のデマ傳播の蔭には市/内各小學校及女學校の/先生が子供の夜遊び警/戒の意味からか雪女郎の手で子供/に注意して居たことが判り、警視*3/【2段め】廳でも今更の如く驚き、今二十日/市内各小學校宛注意書を送付する/と共に各署員を督勵市内のデマ一/掃に努めるやう各署に通牒を發し/た、右に關し永野刑事部長は語る*4
惡質デマの傳播力の怖さは全く/ 物凄いもので、私共も子供から/
聞いたやうな次第ですよ、赤マ/ ント云々の連想は、昔流行した/
『黄金バツト』『黄金假面』などの/ 探偵冒險小説等からの影響も多/
く此の點も注意すべきでせう*5
2月後半の「萬朝報」にはこの記事しか出ていません。
この記事、見出しは違っていますが、本文が、組み直されてはいるのですが、昨日紹介した「やまと新聞」の記事と同文なのです。約物に僅かな異同があるだけです。いえ、実は同じ活字を使っているのです。それは最後に載る談話の主「永野刑事部長」の「野」の字によりはっきりします。
私は「萬朝報」の方を先に閲覧しました。そのとき、この「野」の字は上下が欠損していて、ルビ「の」もはっきりせず、どうしても読めませんでした、ところが、後日「やまと新聞」を閲覧するに、やはり「野」字の上下が同じように欠損しているのですが、こちらは何とか読めるのです。マイクロリーダーを繰る間に眺めたこれ以外の記事も、同じ写真を使った似たような記事で、どうも「やまと新聞」の記事を、同じ活字を使い回して「萬朝報」が流用しているらしいのです。それぞれ夕刊なしの日刊4頁という薄さなのですが「萬朝報」は印刷も粗悪です。この辺りの事情は、同じ日の紙面を比較してどの程度異同があるのか、或いは何らかの参考資料が存するのか、そのような調べを進める余裕がなくまだ何ともしていません。今はこの点を提示するに止めて置きます。
さて、このデマが伝播した理由の一つとして「市内各小学校及女学校の先生が子供の夜遊び警戒の意味からか雪女郎の手で子供に注意して居たこと」を挙げていることが注意されます。私の父はこの赤マント騒動の頃に丁度満1歳で、もちろんこんな騒動は承知していないのですが、埼玉県北部の農村で幼時、泣き止まないでいると「泣く子はもらうー」と言う人さらいが出る、と脅されたそうです。この「雪女郎の手で」というのも同様のことで、まだ十分に調べていませんが「夜歩きする子供は雪女郎が連れ去るぞ、といって子供を脅して戒めたのと同じ手で」ということなのでしょう。「赤マント」のデマを利用して夜遊びを戒めたのが効き過ぎたという訳なのでしょう。
それで、警視庁から20日(月曜日)に「市内各小学校宛注意書を送付」することとなるのですが、これが11月6日付(16)に引いた、岩佐東一郎の娘の反応に繋がって行く訳です。
なお刑事部長の話に『黄金バット』が出て来ることも注意されますが、これについては改めて別の記事について検討する際に取り上げることにします。(以下続稿)