瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(97)

物集高音「赤きマント」(5)
 本作が小沢信男「わたしの赤マント」の内容を無視したのは、意図的であるようにも思えます。すなわち、物集氏は端から赤マントについてその実像を究めようなどとは考えていなかったのだろう、と思われるのです。買被りかも知れませんが。いえ、それにしても、不自然になっていることは否めません。そのことは、後半まで見た上で改めて触れることになろうと思います。
 さて、話を本作の内容の確認に戻しましょう。
 旺文社文庫版『紙芝居昭和史』を持ち出した白フリル(富崎ゆう)は、脇屋中に付箋のところを読むように促します。それに答えて朗読を始めるところから、抜いて見ましょう。30頁上段10行め〜下段3行め、

「いいですけどォ〜。ええ〜とォ〜、『私に関して/は昭和十五年の赤マント事件がある。昭和十五年の/一月頃だったが』……」
 台東区谷中の墓地近くで少女が乱暴された。挙げ/句に殺された。偶然、現場の近くで紙芝居が掛かっ/ていた。それが「赤マント」だった。加太こうじ作/の紙芝居だった。初夏になって作者は紙芝居会社の/常務に呼び出された。大阪の警察が「赤マント」の/絵を押収して焼却した。その旨、警視庁が通達して/来た。今後はデマの原因となるような紙芝居を作っ/てくれるな。二度と騒ぎを起こしてくれるな。そう/云う話だった。上司からの注意だった。*1


 この筆法は1月25日付(95)と同じですね。ちなみに昭和15年(1940)であれば台東区ではなく下谷區です。それはともかく、大体は2013年10月25日付(04)に引いた加太氏の記述の通りです。1つだけ気になったのは「赤マント」を紙芝居の題のように書いていることです。このような例が他にもあることは2013年12月11日付(51)でも触れて、2013年12月13日付(53)に一応のまとめをしましたが、本作に基づいているサイトもあるのかも知れません。
 それから31頁上段9行め〜下段17行め、白フリルは紙芝居の内容を、加太氏の記述を上手く潤色して、紹介します。それを聞いての会員たちの反応、32頁上段1〜11行め、

「へ〜えェ〜! 古臭いけどォ〜、なかなかァ〜、/いい話じゃないですかァ〜?」と脇屋氏。
「しかし、トイレはどうしマシタ? 血も吸わない/のデスカ?」と、レ博士。
「儂は断じて、これを赤マントと認めんぞ! 不遇/の少年に救いの手が差し伸べられるだと! ふん!/何と単純な筋書きじゃ! 子供騙しにもほどがあ/る!」と、化外先生。
「へ、当時、子供だったくせにさ……」と、ゆう。
「ゆうちゃん、その話、確かなのかい?」と、チヨ/女史。


 レ博士とはハンス・丸木・レヴィットという「四十代の白人」の「精神科医。人格検査専門家」です。
 下間化外先生の怒りは御尤もです。同じく体験者の添田チヨも疑念を表明しています。添田女史は小沢信男「わたしの赤マント」は知っていても、『紙芝居昭和史』には及んでいなかったようです。(以下続稿)

*1:ルビ「たいとう・やなか・むね」。